社会

トラファルガー海戦

とらふぁるがーかいせん

戦略構想(1805年)

フランス革命革命戦争は最終的に皇帝ナポレオンを生み出す。アミアンの和約による短期間の休戦期間を経て、新生ナポレオン帝国と第三次対仏大同盟との戦いの火蓋が斬って落とされた。ナポレオンはブーローニュに15万の大兵力と上陸用舟艇を集結、英本土上陸の機会を虎視眈々と窺う。

とは言っても、世界最大・最強の英海軍英仏海峡制海権を掌握している限り、そんな機会が永久にやってこないことをナポレオンは理解していた。そこで彼が立案したのは次のような作戦だった。

  1. トゥーロンブレストに逼塞しているフランス海軍主力艦隊が英海軍の封鎖を破って出港する
  2. フランス艦隊は大西洋上で合流して西インド諸島に向かい、こちらに英海軍の主力を吸引する
  3. 海軍主力の吸引に成功次第、フランス艦隊は大西洋を折り返してヨーロッパに帰還
  4. アイルランドに兵力を送り込んで英国に対する反乱を誘発させる
  5. 戦力の分散した英海軍を撃破して英仏海峡制海権を奪取、英本土上陸作戦を実施

この作戦について、いろいろ言うことは出来る。が少なくとも、自軍の針路を本当の目的に対して偽装することで敵を分散させてからのち、全力でもって敵の分力を討つというのはナポレオンが考えそうなことではあった。

この作戦が成功すれば、おそらく40隻を超えるフランス・スペイン戦列艦海峡艦隊に襲いかかることになるはずで、それで一時的にせよドーヴァーの制海権を握ることが出来ればあとは帝国陸軍がその任務を果たすだけでいいはずだった。

Royal Navy

当時の英海軍はそのドクトリンに基づきフランス・スペイン連合軍の各艦隊を、その主要根拠地に封鎖していた。

英国は(それまでの戦争と同様に)圧倒的な海軍力をベースに、敵艦隊のいるすべての港湾の沖合に封鎖艦隊を貼りつけ、彼らが洋上に出てこれないようにしていた。英海軍は港湾封鎖を行って、その制海権を確立するとともに、世界中に広がる通商路を保護するための多数の艦船を各根拠地に展開していた。

洋上に出ない軍艦はまともな訓練ができないので、この状態を維持するだけでも彼我の戦力差は勝手に開いていく。もちろん封鎖を維持するのは風任せの帆走海軍時代だから楽ではないし、必要とされる戦力も膨大な物だが、これまで幾多の戦争を勝ち抜いてきた英海軍にとっては(厳しいけれども)不可能ではなかった。

彼らの艦隊の中で特に強力なものはふたつ、海峡艦隊地中海艦隊であり、それぞれブレスト大西洋岸)とトゥーロン地中海岸)の封鎖を担当していた。

7月22日まで

海軍きっての戦闘的な提督、地中海艦隊司令長官のホレーショ・ネルソンは、フランス海軍の最重要拠点トゥーロン港の封鎖にあたっていた。

1805年3月29日、ナポレオンの命令に従い、ヴィルヌーヴ提督率いるフランス艦隊(戦列艦11隻、フリゲート7隻、ブリッグ2隻)はこの封鎖を突破してトゥーロンを脱出。さらに4月8日にジブラルタル海峡を抜け、カディスの封鎖を解いてスペイン艦隊(戦列艦6隻)との合流にも成功、一路大西洋を西に向かう。

ネルソンは西風のために地中海をなかなか抜けられず、大西洋に出られたのは約一ヶ月後の5月7日のことだった。仏西連合艦隊は5月12日に当初の目的地、カリブ海ウィンドワード諸島のフランス領マルティニク島に到着する。これを追ってネルソンの艦隊も6月4日にアンティグアに到着する。

ヴィルヌーヴは合流する予定になっていたガントゥーム提督のブレスト艦隊を待っていた。が、ブレスト艦隊はいまだにブレスト港内で封鎖されていたので、いつまで経っても現れない。6月7日、ネルソンがアンティグアに到着しているとの情報を捕獲した英商船からヴィルヌーヴは得た。そこでフランス艦隊は「英艦隊の吸引には成功した」とばかりにカリブ海での作戦は放棄して、6月11日にさっさとヨーロッパに向けて移動を開始した。

7月9日にイベリア半島北西のフィニステーレ岬に到達したヴィルヌーヴだったが、北東の風に妨げられて、目的のブレストに向かうことが出来ずにビスケー湾の手前で足止めを喰らっていた。一方、7月19日にヴィルヌーヴ帰還の報を得た英海軍中将ロバート・コールダー(ロシュフォールおよびフェロルの封鎖艦隊を指揮していた)は艦隊を率いてこれを迎撃に向かった。

フィニステーレ岬沖海戦

7月22日から23日にかけて、戦列艦15隻からなる英艦隊は戦列艦20隻からなるフランス・スペイン連合艦隊と戦った。視界が悪かったこととヴィルヌーヴの慎重な指揮などが相まって戦闘は不徹底な物となった。結局コールダーはスペイン戦列艦2隻を捕獲しただけにとどまった。ヴィルヌーヴは7月24日に風向の変化で訪れた攻撃の機会を放棄して南に向かい戦場を離脱、8月1日にはラ・コルニャに入った。

この海戦の結果に英国は大いに失望した。

「相手よりも5隻少ない艦隊を率いて、敵の目的(ブレスト艦隊との合同)を阻止した上で2隻を捕獲した」

という結果で失望されるのは不可解だとフランス人なら考えるところではあろうが。とにかく、コールダーは本国に召還されて軍法会議にかけられ、二度と海に出ることはなかった。

ナポレオンにとってもこの海戦の結果は大いに失望を誘う物だった。ヴィルヌーヴに対して、再度出撃してブレストとブーローニュへ向かうように命令を出した。が、ビスケー湾における英海軍力の優越を信じていたヴィルヌーヴは、引き返して8月21日にカディスに入った。

さすがにナポレオンも「こりゃ駄目だ」と思ったのか、8月27日にブーローニュの軍営を解き、オーストリア方面へと軍を動かすことにした。事実上、英本土上陸作戦の放棄である。

トラファルガー

カディス沖にネルソンが戻ってきた。一方、ナポレオンヴィルヌーヴの更迭を決意する。自分が更迭されるという情報はヴィルヌーヴの耳にも入っていた。後任が陸路でやってくる間に、ヴィルヌーヴは英艦隊の一部(6隻)が補給のためにジブラルタルへ離れたとの情報も得た。だったら、ここは一つ解任前に汚名を挽回できるかもしれないと英艦隊に戦いを挑んでみようという気分になった。

1805年10月19日、カディスの監視にあたっていた英フリゲート「ユーライアラス」は英海軍が待ち望んでいた信号旗370番「敵艦隊出港中」を掲げた。

1805年10月21日、英海軍が切望し続けた決戦の機会が訪れた。

海軍は事前計画では3つの縦隊を作って敵艦隊に横合いから突入、敵戦列を分断することになっていた。が、船の数が足りなかったので縦隊は2つになり、それぞれの先頭にネルソンの座乗する旗艦ヴィクトリーと次席指揮官コリングウッドの乗艦ロイヤル・ソヴリンが位置することになった。

11時35分、ネルソンは有名な「英国は各員がその義務を果たすことを期待する(England expects that every man will do his duty)」との信号を出し*3、ついで「接近戦をせよ」との最後の信号を出した。

通常海戦のやりかた、単縦陣を組み並航して互いに砲撃しあうというやり方では、戦意に欠ける敵艦隊を取り逃がすというのが従来のパターンだった。そこでネルソンは、あえて敵戦列に側面から突っ込むというやり方を採用していた。個艦の性能ではフランス側は英艦を凌ぐ物が多かったし、また備砲なども優秀だったのだが、反面訓練密度の差から砲撃速度では英側が大幅に勝っていた*4。そこで乱戦状態に持ち込んでひたすら射撃し続けることで敵を圧倒するという目論見だった。

海戦は概ねネルソンの計画通りに進行した。

海戦の直前にユーライアラスのブラックウッド艦長が「私はすぐに戻ってきて、20隻を捕獲した提督にお目にかかれるでしょう」と言うとネルソンが「神のご加護を、ブラックウッド君。(だが)私が君にもう一度話しかけるのは無理だろう」と応えたり、先頭に立って突進して敵戦列を中央で分断したロイヤル・ソヴリンの艦上でコリングウッドが艦長に「ロザラムネルソン提督は我々を羨んでいることだろう」と言っているとネルソンの方でも「見たまえ、コリングウッドたちの見事な働きぶりを!」と言っていたとか、ヴィルヌーヴが降伏しようとしてたらい回しにされたり、ネルソン自身がフランス海兵隊の狙撃を受けて戦死したり、ネルソンが健在なふりをするためにヴィクトリー艦長のハーディが忙しかったり、いろいろ名場面が満載だが省略。

海戦の結果、英艦の損失はゼロ。一方フランス・スペイン連合艦隊戦列艦33隻中17隻が捕獲され、1隻が沈没、カディスに帰還できたのは8隻のみだった。

結果

一般には、この海戦において英国の海上での優位が確定し、それが第一次世界大戦まで続いたということになっている。

あるいは、英艦隊は海戦以前から常勝の状態にあり、トラファルガーではその確認が行われたに過ぎないとも言える。だが、ある状態にあることと、それが確認・了解されていることとの間には大変な相違がある。

「英艦隊は常勝無敗で誰も敵わない」という状況が確認されたことで、フランス最大の敵国である英国が直接武力で征服させられる可能性が消滅して、英本土の安全が確立したのは事実である。

結果、ナポレオン英国を屈服させるための別の手段として、「大陸封鎖」に訴えることになる。大陸封鎖はロシアの離反を生み、それはナポレオン没落の最大原因となるロシア遠征へとつながっていくことになる。

*1:Vice-Admiral Nelson

*2:amiral Villeneuve

*3:この信号で英艦隊は一同奮い立った、とか書かれていることが多いが、実際にはそんなことはまったくなく、「何て言いたいのか分からない命令だ」「期待って、俺たちのこと信じてねえのかよ」「義務を果たせとは何事ぞ。吾等は斯くの如く義務を果たしつつあり(コリングウッド)」などと散々な評価だった。ネルソンは当初は「その義務を果たすことを確信する(confides)」と言いたかったらしいが信号旗を節約するために文言を変更していた[uri]

*4:一般に、フランス艦が2回する間に英艦は3回斉射できたと言われる