Alexander Dubček/アレクサンデル・ドゥプチェク。チェコスロヴァキア共産党第一書記(1968年-1969年)。1921年スロヴァキア生まれ。1939年チェコスロヴァキア共産党に入党。第二次世界大戦後、トレンチーンの党書記局に勤務。1968年にチェコスロヴァキア共産党第一書記に就任すると、プラハの春と呼ばれる改革運動を実施する。ソ連および党内保守派の圧力によって翌年、同職を辞任しチェコスロヴァキア共産党籍を剥奪される。1970年にトルコ在中大使に任命されるが半年で解任され、秘密警察の監視下で営林署での労働を強いられる。1989年のビロード革命では市民フォーラムを支援し、1992年にスロヴァキア社会民主党の党首に就任。同年の総選挙を経て、チェコスロヴァキア連邦議会議長に就任した。1992年に交通事故で重傷を負い、同年死す。
歴史的思考力を問う問題や歴史学的な観点からの設問は減少し、リード文や資料を読めば解けてしまう国語的な問題が非常に多かったように思える。歴史的思考力系の問題は、複数回答可の【13】・【14】で、これは歴史事象の背景・原因とその結果を考察させるものであった。歴史観の変化・歴史認識の恣意性の問題については、歴史上の評価が時代により変化することを扱おうとする設問もあったが(【11】や【30】など)、本質に迫ることが出来ず知識や国語力で解けてしまうものであった。また目についたものとしては、空欄補充を前提とした上で、その語句に関する設問を作ると言う形式が多い様に感じた。歴史が暗記科目ではないことを示そうと…