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ナム・ジュン・パイク

アート

ナム・ジュン・パイク

なむじゅんぱいく

Nam Jun Paik; 白南準?

音楽家、パフォーマー、ビデオ・アーティスト、思索するひと。

「ぼくは本当はヴィデオは好きじゃないんです。いまでも、テレヴィはスポーツ中継くらいしか見たことはないし。ところが、とにかく飯が食えたのはヴィデオしかなかったわけ。ぼくが表現したいもの、自分が持っているものは演奏的なものだと思う。しかし社会が要求しているのは、ぼくのヴィデオ的なものだ。いまはそうあきらめているわけです。」川仁宏のインタビューに答えて 『美術手帖1980年10月号、11月号

1932年7月20日 韓国ソウルで繊維業を営む家庭に生まれる。

1950年 朝鮮戦争を逃れて一家は香港へ。その後日本へ移住。

1956年 東京大学文学部美学美術史学科を卒業。卒論は『アーノルド・シェーンベルグ研究』

1956-58年 ミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。カールハインツ・ショトックハウゼンと出会う。フライブルグ高等音楽院でブォルフガング・フォルトナーに作曲を学ぶ。

1958-63年 ジョン・ケージと出会う。ケルンのWDR電子音楽スタジオで働く。

1959年 デュッセルドルフギャラリー22でパフォーマンス『ジョン・ケージへのオマージュ』『テープレコーダーとピアノのための音楽』を初演。

1961年 フルクサス運動の主催者、ジョージ・マチューナスと出会う。ストックフォルムとケルン

コンサート。

1962年 デュッセルドルフアムステルダムコペンハーゲン、パリなどで音楽コンサート。東京画廊での『世界の新しい楽譜展』に出品。

1963年 デュッセルドルフ州立アカデミーでの『フルクサス・フェスティバル・音楽・反音楽・楽器の劇場』でパフォーマンス。西ドイツ、ヴッパタールのパルナス画廊で最初の個展『音楽の展覧会-エレクトロニック・テレビジョン』開催。電子技師、阿部修也と日本で出会う。彼の協力で動く立体作品『ロボットK-456』を制作。アムステルダムでパフォーマンス。

1964年 ニューヨークでパイクのその後のパフォーマンスを共演することになるシャーロット・モーマンと出会う。(シャーロット・モーマンは『アメリカン・シンフォニー』の主席チェリスト)『フルクサス・コンサート』でジョージ・マチューナスによりパイクの作品『バイオリン独奏』を初演。『第2回ニューヨークアバンギャルド・フェスティバル』でシャーロット・モーマンと『ロボットオペラ』を初演。

1965年 ニューヨークでの初の個展『NJパイク--エレクトロニックTV実験、3台のロボット、二つの禅箱、ひとつの禅缶』を開催。モーマンと『成人向けチェロソナタ』を共演。携帯用ビデオ・カメラを使い始める。この年、フィラデルフィア美術大学やニューヨークなどで演奏会をおこなう。


2006年1月29日、フロリダ州マイアミのアパートで死去。享年73歳。

ナム・ジュン・パイク美術館アートセンター http://www.paiknamjune.org/

(2008.10完成)韓国京畿道竜仁市)http://www.njpartcenter.kr/  http://njp.kr/(ミラー)


画像はパイクのロボット彫刻(『ロボットK-456』ではありません)