ハイレッド・センター

アート

ハイレッド・センター

はいれっどせんたー

高松次郎赤瀬川原平中西夏之の3人を中心にした、アバンギャルド芸術集団。名前はメンバーの頭文字の漢字を英訳したもの。

1960年前半に東京都内を中心にしてさまざまなパフォーマンスを繰り広げる。具体的には、

  • ドーランで顔を白塗りにして、山の手線の各駅のホームで下車して奇怪なオブジェを舐める
  • 「晩餐整理券」なるものを配布しつつも、参加者は見学するだけで、メンバーだけが豪勢な夕食を食べる
  • 帝国ホテルの一室をワリカンで借りて、当時の芸術家仲間を招いて身体測定する
  • 御茶ノ水にあるビルの屋上から、さまざまなものを落とす
  • 東京オリンピックを間近に控えた銀座を、無意味なくらい徹底的に清掃する

などがある。

赤瀬川が模造千円札を作って刑事告訴されるのも、この時期にあたる。

当事者による資料としては、

東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

がある。

「エンサイクロペディア・ハイレッド・センタニカ」より

 ある集合体。HRC略称されることもある。発起人とみられる高松次郎赤瀬川原平中西夏之の三人の名前の最初の字「高」、「赤」、「中」の英訳でその名称が作られたというのが定説である。

 ハイレッド・センターがどのような目的をもつかは、多くの研究家によってもさまざまな見方があり、簡単に定義することは困難であるが、その主なものをあげると、奇怪な事件の発見と創造、契機の企画開発、純粋伝達の研究、便器に関する色彩学の実践、そよ風とすきま風の発動、デマゴーグの発信、首都圏清掃整備の促進、日常性と非日常性の境界の探求、日常性の撹拌、好奇心対象物の製造、秘儀の企画と実施、物体の増殖と伝播に関する観察、未来における乞食のあり方の研究、存在の多角性の開発、物質と精神との距離の測定、紐・梱包・紙幣の模型・クリップ・指紋に関する調査と事業、などである。

 主義、主張や思想的背景についての研究家による発表は、まだほとんどない。

 創立は1963年5月という記録があるが、その前年の8月、あるいは9月という説もあり、また厳密な研究によれば、発起人もある要請を受託したにすぎず、正確な創立時点を人類発生の時期に求めなければならないという見方もある。

 構成員も、多くの記録では前記した発起人三名のほかに和泉達も含まれているが、その四名はあくまで公式要員といわれるごく一部であるにすぎず、それ以外に非常に多くの非公式要員、別称、地下要員、または匿名HRC要員がいるといわれている。そして最近の調査によれば、構成員の存在は流動的なものであるらしく、特定の状況のなかで一時的にかなりの人員の増加をみることもあれば、一名だけになったりすることもあるらしい。また一部の研究家によれば、構成員と非構成員との間には明確な区分はないともみられている。さらに、ハイレッド・センターの組織についての特殊性は、公式要員、非公式要員を問わず、そのかぎられたわずかの構成員が自由に代表権をもつことが、ある調査によって明らかになり、それを見ても、集合体としての厳密な組織の規定はないらしい。この点から、ハイレッド・センターは集合体ですらないという説もある。

 公式に発表されているハイレッド・センターの活動は数多いが、主なものだけをあげると、「山手線事件」(62年10月)、「ミキサー計画」(63年5月)、「シェルター計画」(64年1月)、「通信衛星は何者に使われているか」(64年4月)、「ドロッピング・イベント」(64年10月)、「首都圏清掃整理促進運動」(64年10月)、「法廷における大博覧会」(66年8月)などである。

 1967年以降の活動については、正式に公表されているものはないが、さまざまな事実をハイレッド・センターの活動としてみる研究家もある。しかし一般的な説では、公式要員も、ハイレッド・センターに関しては非公式化、つまり匿名的存在となり、一方、非公式要員の増加により、かつての活動能力をうわまわって、地球上の各所で、近年では宇宙区間においてまでも、その活動範囲は拡張され、時間的には、人類が滅亡するまでその活動は続けられるだろうという推論もある。(高松次郎

東京ミキサー計画』より転載