ハンネス・マイヤー

アート

ハンネス・マイヤー

はんねすまいやー

ハンネス・エミールマイヤー(Hannes Emil Meyer 1889年11月18日-1954年7月19日)はスイスバーゼル生まれの建築家。1928-1930年にかけ、グロピウスの後を継いでバウハウスの二代目校長を務める。

19世紀的な「芸術のための芸術」を否定した新即物主義(Neue Sachlichkeit)の先鋭な機能主義者と目されている。バウハウスの運営においては工房制度や徒弟制度を廃し、実証主義に基づいた新しい方法を模索した。また外部企業との協働も推進し、こうしたマイヤーの手腕によって経営上も黒字を出してバウハウスは絶頂期を迎える。有名なバウハウス壁紙も外部企業との協働方針において開発され、現在も生産されている。

学生たちとともに炭鉱労働者ストライキに参加したことがデッサウ市によって問題とされ、バウハウス校長を罷免される。そのごモスクワに向かいエルンスト・マイらとともに建築都市計画にかかわる。スターリン政権下におけるソビエトパレス・コンペの結果に失望し、1936年モスクワを去る。ジュネーヴで約3年過ごしたのち、1939年メキシコに移住、1949年までまでメキシコにて都市計画局のディレクターとして政府都市計画事業に従事。1955年、故郷のスイスにて没。


主な作品に

デッサウ市アパートメント(1930)

ベルナウADGB(ドイツ通商連盟)学校(1930)など


計画案に

国際連盟設計競技案(ハンス・ビトバーとの協働、1927)

ペーターシューレ計画(1927)など




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