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スポーツ

パトリック・クライファート

ぱとりっくくらいふぁーと

Patrick Steven Kluivert

オランダの元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード

1976年7月1日生まれ。アムステルダム出身。身長188cm、体重81kg。

名前はパトリック・クライフェルトとも表記される。

経歴・プレースタイルなど

父母はスリナム出身。生年月日はルート・ファン・ニステルローイと同じ。

高い身体能力とボールコントロールの上手さを併せ持つストライカーで、ポストプレーも難なくこなす。ダイナミックなプレーで難しいシュートを決めるが、簡単なシュートを外すことも。

オランダの名門アヤックス・アムステルダムの下部組織出身。ルイス・ファン・ハール監督に見出され、1994-95シーズンに18歳の若さでプロデビュー。ダニー・ブリントフランク・ライカールトといったベテランと、エドウィン・ファン・デル・サールエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフら後にオランダ代表でともに活躍する選手たちとUEFAチャンピオンズリーグで優勝、エールディヴィジも制覇して2冠を達成した。1995-96シーズンにはインターコンチネンタルカップ/トヨタカップ優勝、エールディヴィジ2連覇を果たした。

1997年イタリアセリエAACミランに移籍したが、フィットせず活躍できなかった。交通事故を起こすトラブルもあった。

1998年、リーガ・エスパニョーラFCバルセロナに4年契約で移籍。アヤックス時代の恩師ファン・ハールが監督を務めており、入団一年目の1998-99シーズンはリバウドルイス・フィーゴと共に破壊力抜群の3トップを形成し、リーグ戦15得点を挙げてリーグ優勝に貢献した。その後は2002-03シーズンまで5シーズン連続でリーグ戦15得点以上を挙げたが、銀河系軍団と称されたレアル・マドリードの後塵を拝してタイトル獲得には至らなかった。2003年夏にフランク・ライカールト監督が就任すると、脱オランダ化を図り、出場機会が減少してシーズン終了後に退団した。

オランダ代表としては1995年にA代表デビュー。1996年・2000年・2004年UEFA欧州選手権、1998年FIFAワールドカップの代表メンバー。2004年にマルコ・ファン・バステンが代表監督に就任してからは、代表に招集されることはなかった。代表通算79試合出場、40得点を記録した。

FCバルセロナを退団した後は4つのクラブを渡り歩いたが、晩年は怪我にも悩まされた。2008年5月に現役引退を表明、指導者に転身した。


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