パトリック・ヴィエラ

スポーツ

パトリック・ヴィエラ

ぱとりっくう゛ぃえら

Patrick Vieira

フランスの元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダーディフェンシブハーフセンターハーフ)。

1976年6月23日、セネガルダカール生まれ。幼少期にフランスに移住し、国籍はフランス。身長193cm、体重83kg。

ヴィエラの表記は、ヴィエイラ/ビエラ/ビエイラとも。

代表歴

U-21フランス代表、フランスA代表

1997年2月26日 オランダ戦でA代表デビュー

1998年 FIFAワールドカップ出場(優勝)

2000年 UEFA欧州選手権出場(優勝)

2001年 FIFAコンフェデレーションズカップ出場(優勝)

2002年 FIFAワールドカップ出場(グループリーグ敗退)

2004年 UEFA欧州選手権出場(ベスト8)

2006年 FIFAワールドカップ出場(準優勝)

2008年 UEFA欧州選手権出場(グループリーグ敗退)

獲得タイトル

アーセナルFC

インテルナツィオナーレ・ミラノ

フランス代表

個人

その他

アーセナルキャプテンを務め、フランス代表でも揺ぎ無い地位を築いたセントラルミッドフィルダー。強靭なフィジカルと広い視野、高いパス能力を備えており、クラブでも代表でも攻守の要として活躍した。アーセナルの早い攻撃に非常にフィットする選手で、ボールを奪ってからの判断の早さと前線に供給するパスの質は必見。

1993年ASカンヌでプロデビュー。1996年にACミランに移籍したが、ヴィエラリーグ戦2試合とカップ戦2試合の計4試合しか出番を得ることができず、シーズン終了後に570万ユーロアーセナルFCへ移籍した。この時アーセナルから監督就任要請を受けていたアーセン・ベンゲル氏(当時の名古屋グランパス監督)は、就任条件のひとつとしてヴィエラの獲得を挙げていたと言われている。

プレミアシップに移籍してからは才能を十分に発揮し、怪我や出場停止を除けばほぼフル回転でチームに貢献、移籍の翌シーズンにリーグとカップのダブルを達成するなど、すぐにチームに欠かせない選手となった。また、アーセナル移籍後に代表デビューを果たし、1998年にはフル出場は予選ラウンドの1試合にとどまったものの、自国で開催されたFIFAワールドカップに出場した。

2000年、クラブが中心選手だったマルク・オーフェルマルスエマニュエル・プティバルセロナに売却した頃から、フロント批判とも取れる言動が度々報じられるようになる。またこの年、オランダベルギーの共催で行われたUEFA欧州選手権2000に出場。1998年W杯とは違い、中心選手となって活躍、優勝に大きく貢献した。

2001年にはリーグ最優秀選手に輝くと同時にフランス最優秀選手にも選出され、翌2001-2002シーズンには自身2度目のダブルを達成し、ロベール・ピレス、シルヴァン・ヴィルトール、ティエリ・アンリと共にフランス人四銃士と呼ばれ、チームの中核として存在感は益々大きくなっていく。

2002-2003シーズンからはアーセナルキャプテンに任命される。同年、クラブは大差をつけてリーグ戦首位をひた走るも、終盤でマンチェスター・ユナイテッドに大逆転優勝を許す。しかし翌2003-2004シーズンにはリーグ38戦無敗優勝を成し遂げ、得点王を獲得したティエリ・アンリと共に偉業達成の立役者となる。

現在も世界で有数のミッドフィールドとして高い評価を浴びているヴィエラは、2004年にレアル・マドリー移籍の噂が大きく紙面を賑わすも結局アーセナル残留を決めた。迎えた2004-2005シーズンは移籍騒動のごたごたも関係してか本来のパフォーマンスを出せず、クラブはなんとかFAカップ優勝で面子を保ったものの、本人にとってはやや不本意なシーズンになってしまった。

2005-2006シーズンの開幕前には前年のような移籍騒動には関わらないと名言、アーセナル残留を早くから表明するも、8月には突然ユヴェントスFCとの交渉が取り立たされ、移籍金およそ2,000万ユーロの5年契約でイタリアへと渡ることになる。9年にも及ぶアーセナルでのキャリアを終え、新天地での活躍が期待されていたが、ユヴェントスのスキャンダルが発覚、わずか1年で同じセリエAインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍することになった。インテルではセリエA連覇などクラブは輝かしい成績を残したが、自身の出場機会は次第に減少。2010年1月、プレミアリーグマンチェスター・シティFCに移籍した。2011年7月、現役引退を表明した。


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