父は作曲家で音楽家。
10歳からヴァイオリンを学び、ヴェネツィアのB.マルチェッロ音楽院に入学。その後、ミラノのG.ヴェルディ音楽院に移り、14歳にしてRAIでのラジオ・コンサートでヴィヴァルディを演奏。その後、クラウディオ・シモーネ率いる合奏団「イ・ソリスティ・ヴェネティ」に招かれ、ヴァイオリニストとして活動。
59年夏、ロック音楽に出会い、クラシックの道を離れる。早くもポール・アンカのコンサートで歌うことが出来、歌手デビュー。その後、作曲にも取組み、61年サンレモ音楽祭でテディ・レノとのコンビで自作の「コメ・シンフォニア」で参加し、後にチャートの一位を獲得する大ヒットとなる(年間10位)。以来、同音楽祭に度々参加し、63年は「ジョヴァネ・ジョヴァネ」で3位入賞、64年「悲しき愛のテーマ」で入賞。
65年は、自作で、アメリカの歌手ジョディ・ミラーと歌った「この胸のときめきを」で評判となり、ダスティ・スプリングフィールドの英語版も大ヒットし、71年エルヴィス・プレスリーが歌って世界的スタンダードとなる。その後、「青空に住もう」」(66・入賞)、「この愛に生きて」(67・入賞)、「いつものこと」」(68・選外)、「天使のほほえみ」(70・選外)、「最後の夢見る人」(71・入賞)、「哀愁の日々」(72・選外)で同音楽祭に参加し、ヒットを連発。
73年、ニコラス・ローグの『赤い影』でスコアを担当して評判となり、これ注目したブライアン・デ・パルマが『キャリー』(75)で起用。以来、映画音楽の作曲家として人気を集め、デ・パルマの『殺しのドレス』(80)、『ミッドナイトクロス』(81)、『ボディ・ダブル』(84)などはもとより、『ハウリング』(81)、フェッラーラの「首相暗殺」(86)、ダニエル・シュミットの『デ・ジャ・ヴュ』(87)、ダリオ・アルジェントの『トラウマ』(93)他、プーピ・アヴァーティの「オーメン黙示録」(96)、フィリップ・ハースの「真夜中の銃弾」(00)、そしてティント・ブラスの一連の作品と、アクション、ホラー、サスペンス、アート系と幅広く担当。
Up At The Villa: Original Motion Picture Soundtrack (2000 Film)
*1:ジュゼッペの愛称がジュゼッピーノ、その短縮がピーノ。なお、ピノ・ドナジオとするのは発音として不適切
Ume32007-07-27
Ume32007-04-14
Ume32006-11-30
kokada_jnet2006-10-28