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ファルツ継承戦争

一般

ファルツ継承戦争

ふぁるつけいしょうせんそう

1688年〜1697年

別名 9年戦争、大同盟戦争、アウクスブルク同盟戦争、プファルツ継承戦争オルレアン戦争。ルイ14世による一連の戦争の一つ。

戦争まで

欧州最強の陸軍を有するようになったフランス王国は、太陽王ルイ14世のもと、領土拡張の機会を虎視眈々とうかがっていた。

ルイ14世の弟オルレアン公フィリップはファルツ選帝候の娘、エリーザベト・シャルロッテを后としていた。1685年にファルツ選帝侯が嗣子なくして亡くなると、婚姻の際にエリーザベトはファルツ継承権を放棄していたにもかかわらず、ルイ14世継承権を強引に主張した。

これに反発した神聖ローマ帝国皇帝レオポルド1世はスペインオランダスウェーデンバイエルンブランデンブルクサヴォイイタリア諸都市などとアウグスブルク同盟(アウクスブルク同盟)を結んだ。

展開

1688年、フランスはファルツ伯領*1に侵攻、アウグスブルク同盟を圧倒して各地を席巻した。

しかし、同年12月末になってイングランド名誉革命が起き、カトリック教徒のイングランド王ジェームズ2世が王位を追われてフランスに亡命した。翌1689年2月にイングランドは、オランダのウィレムとメアリを「ウィリアム3世」と「メアリー2世」として戴き、オランダと同君連合となった。さらにイングランドは、アウグスブルク同盟に参加した(イングランド加入後、「大同盟」とも呼ばれるようになる)。

ルイ14世はジェームズ2世をアイルランドに上陸させてイングランドの後背を付く作戦に出るが、これはウィリアム3世率いる後詰めの到着によって失敗した。

名誉革命は英領北米植民地ニューイングランドにも波及、結果としてフランスの北米植民地ヌーヴェル・フランスとの間にウィリアム王戦争と呼ばれる戦争が北米を舞台に繰り広げられた。

フランス軍スペインネーデルラントドイツ諸邦、アルプス方面のサヴォイを次々と攻撃し、さらにスペイン本国のカタルーニャにも侵攻していた。明らかにフランスは手を広げすぎていたが、フランスが1696年にサヴォイを脱落させたことで和平の機運が盛り上がり、1697年9月20日にライスワイク条約が締結されて戦争は終わった。

ライスワイク条約は基本的にはナイメーヘン条約による和平を確認するものとなった。

ルイ14世はウィレムとメアリによるイングランド王位を認めてジェームズへの支援を打ち切った。また、ファルツの継承権を放棄するとともにライン右岸カタルーニャルクセンブルクなどの占領地を返還。そしてストラスブールサント・ドミンゴハイチ)を獲得するとともに、戦争中に英蘭によって占領されていた北米インド植民地回復した。

*1:プファルツ=ファルツ=神聖ローマ帝国宮廷伯であり、同時に皇帝を選ぶ選挙権を有する諸である「選帝侯」だったので爵位としては侯爵ではない