フネス

読書

フネス

ふねす

イレネオ・フネスボルヘス伝奇集』中の一編「記憶の人、フネス」の主人公。

アンチョビーなど缶詰産業で栄えたウルグアイ川沿いの小さな都市;フライ・ベントスに1868年、生れ、育っている。アイロン工;マリア・クレメンティナ・フネスの息子。父親は塩田のイギリス人医師のオコナーか、もしくはエル・サルト県の馬飼い。

例によって実話なのか、ボルヘスの創作なのか明からないが、そしてまた、例によってその両方なのだろう(ウルグアイ詩人で、ボルヘスらの芸術運動「ウルトライスモ」にも参加していたペドロ・レアンドロ・イプーチェ〈1889〜1976〉は「荒くれた土着のツァラトゥストラ」とこのフネスのことを高く評価しているが)。

若い頃より、時計を見なくても時間が正確に判るという奇才を発揮していたが、1887年にサン・フランシスコの農場で荒馬に振り落とされて、体に障害をもち、寝たきりとなってO・ヘンリーの『最後の一葉』のように窓の向こうのイチジクや蜘蛛の動きを日がな見つめ続けるような生活となった。

そこへラテン語古典研究中のボルヘスの、近くへ来ていることを知り、資料の本を貸してくれないか手紙で申し出てくる。これに対してボルヘスプリニウスの『博物誌』と、キシェラの『詩文階梯』を貸してやるのだが、まるで不良品のように“返品”してくる。「どうしたのか?」と訊けば、「もうすっかり暗記してしまいましたので」。

ボルヘスがこれを確認すると、部下の兵士の名前をすべて呼べたペルシャ王キュロス、領土内22種類の言語で裁判を行ったミトリダーテス・エウパトルス、記憶術の発明者;シモニデス、一度その耳で聞いたことを忠実に復誦できたメトロドールス・・・・・・と、出てくるは出てくるは。

(我らが南方熊楠もそのような才能があり、『本草綱目』など中国伝来の浩瀚博物学図鑑を隅から隅まで丸暗記して幼少時、周囲を驚かせた。)

明らかに「サヴァン」症候群だが、殊この「フネス」に関しては、荒俣宏のピックアップしてきた『パラノイア創造史』のエス・ヴェー・シェレシェフスキーや、『レインマン』のモデル;サム・ピークと違い、語路合せ系のベクトル記憶ではなく、どうもラスタ記憶だったようである。

「葡萄棚の若芽・房・粒を一時に把握し」、「ある風景の雲の形状を一度だけ見たスペイン本の皮革の装丁と比較し」、同じものを「ケブラチョ戦の前夜に舟のオールがネグロ川で描いた波紋」との類似性に言及できた。

「私の眠りはあなたがたの“徹夜”のようなものなのです」と云い、「眠りは世界から心を放すこと」であるために不眠症で肺充血を患い、1889年、21歳で死んだ。典型的パラノイアである。独特な計数法で24000も70000もの語彙をメモリーしたりもした。(TVもテープも無い時代、リアルな記憶は現代よりも遥かに奇異な事態で、そのためボルヘスは自分の一挙手一投足まで慎まされた。)

ボルヘスジョン・ロックの「個別言語」や、ジョナサンスウィフトの「リリパットの秒針を捉えられる皇帝」とも比較している。

そして又、例によって、この記憶過剰障害の青年は、ボルヘス自身なのである。

ちなみに「フネス」を英語読みすると「ギネス」。世界中のメモリアルを記録する総本山「ギネスブック」の家系なのだ。