フラッシュ・エロルデ

スポーツ

フラッシュ・エロルデ

ふらっしゅえろるで

プロボクシング世界チャンピオン。“フラッシュ”はリングネームで本名はガブリエル・エロルデ。


 ガブリエル・エロルデ(愛称"Flash")はサウスポーのボクサーで、1935年3月25日フィリピン・セブ島のボゴで生まれ育った。彼はマニー・パッキャオ1920年代に活躍したパンチョ・ビーリャらと共に、最も偉大なフィリピン人ボクサーとして周知されている。ビーリャに次いでフィリピン人ボクシング世界王者となったことから、彼はフィリピンのスポーツ・文化の象徴として非常に親しまれた。

フラッシュのリングネーム通りのスピードを誇り、右ジャブ、左ストレート、ワンツー、右フックのどれもが強烈なボクサーファイタースタイルだった。

16歳でプロデビュー。1953年から1954年にかけては主に日本のリングで活躍し、堀口宏、金子繁治、秋山政司らの強豪とグローブを交え、実力をつけていった。

1956年にサンディーサドラーの持つ世界フェザー級タイトルに挑戦するが、名王者の強打とダーティーなファイトの前に13回負傷TKOで敗れた。その後、揺るぎのないトップコンデンターの地位を築いたエロルデは、1960年3月、前回挑戦より1階級上のチャンピオンのハロルド・ゴメスの世界ジュニアライト級王座に挑戦。7回KO勝ちで、見事タイトルを獲得した。

日本の小坂照男とは東洋、世界のタイトルを賭けて5度対戦(4勝3KO1敗)し、いずれも熱戦を展開した。両者は1964年7月、日本でエロルデ7度目の防衛戦で4度目の対決。小坂に終始圧倒されていたエロルデが、12Rに逆転のTKO勝ちを収めた。しかし、レフェリーの処置をめぐって会場が混乱する騒動が起きる。エロルデはリングから降りずに興奮するファンを制し、翌日にはリターンマッチを約束した。エロルデの親日家ぶりを窺わせるエピソードだ。そして1965年6月、フィリピンで行なわれたリターンマッチでは、エロルデが15回KO勝ちで小坂を下している。

1964年にはオルチスの世界ライト級王座に、2階級制覇をかけ挑戦したが、14回KO負け。1966年にも14回KOで返り討ちされている。ジュニアライト級のタイトルは1967年6月、沼田義明に敗れるまで10度防衛した。リングの内外で紳士的だったエロルデは、誰からも愛された偉大なチャンピオンだった。

 ヘビースモーカーだった彼は肺がんのため1985年1月2日49歳でこの世を去ったが、1993年にはアジア人初の国際ボクシング殿堂入りを果たした。

115戦88勝(34KO)25敗2分。


リスト::ボクサー