フランク・オドール

スポーツ

フランク・オドール

ふらんくおどーる

Frank (Lefty) O'Doul

MLB選手・指導者。通称「レフティ」「日本野球の父」。

ポジションは投手外野手

1897年3月4日、カリフォルニア州サンフランシスコ出身。

高校卒業後ニューヨーク・ヤンキース投手として入団。当時左投げ投手は珍しく、「レフティ」のニックネームをつけられた。

1919年にメジャー昇格。

1923年ボストン・レッドソックスに移籍。

野手に転向するも、レッドソックスニューヨーク・ジャイアンツの3A生活が続く。

1928年、初めて規定打席に達し打率3割をマーク。

1929年フィラデルフィア・フィリーズに移籍。

254安打打率.398で首位打者を獲得。

1931年ブルックリン・ドジャースに移籍。

5年連続打率3割をマーク。

同年に日米野球で来日。それ以来、度々日本を訪れ、野球の指導やプロ野球創設に関わる。

1932年、2度目のタイトルを獲得。

その後出場機会は減少。

1933年ニューヨーク・ジャイアンツに復帰。

1934年現役引退。通算打率は.349。

1935年ニューヨーク・ヤンキースの3Aサンフランシスコ・シールズ?監督に就任。

同年、米国遠征で対戦した大日本東京野球倶楽部(現・読売ジャイアンツ)の愛称「ジャイアンツ」を命名。

1949年にはシールズ監督として来日、日米野球交流を復活させた。

1951年にはシールズの春季キャンプに藤村、川上、小鶴、杉下を招待。

「日米の架け橋」として永年にわたり日本野球の発展に尽くした。

1960年サンフランシスコ・ジャイアンツのコーチとなった。

1969年12月7日逝去。

2002年に創設された日本野球殿堂「新世紀特別表彰」に選ばれ殿堂入り