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フリンクス

スポーツ

フリンクス

ふりんくす

Torsten Frings

ドイツ人サッカープレーヤー

1976年11月22日生まれ 身長182cm 体重80Kg

ヴェルダー・ブレーメン所属 

自宅でアライグマを飼っていたほどの動物好き。

(現在でもチームメイト曰く「家は動物園状態」らしい。)

趣味はテニス、音楽鑑賞、電話らしい。

中盤なら中央から左右両サイドに至までのポジションにて高いレベルでプレーできる。

チームのバランスを考えつつ創造力溢れるプレーは現ドイツ代表に不可欠と言えるだろう。

FWとしてブレーメンブンデスリーガデビュー。

右サイドにコンバートされ、チームの中心選手に。

2001/02シーズンにはセンターハーフに抜擢され、ブレーク。

だが相変わらずA代表には呼ばれず、Bildのインタビューで

「なぜフェラーが俺を呼ばないのか分からない」

ダイスラー、ケール、バラックにもひけをとらないはず。」

「現段階では俺がドイツNO.1MF」

という発言をし、注目をあびる

この発言でまんまとフェラーの心をがっちりとつかみ、

W杯前のテストマッチに出場のチャンスを得る。

そして、そのまま代表に定着。

そしてW杯では右サイドとして全試合フル出場を果たす。

準々決勝アメリカ戦で神の手クリアーをしたり、

準決勝の韓国戦後、韓国選手とバラックユニフォーム交換をやめさせるなどの奇行も見られた。

W杯中にブレーメンからドルトムントへの移籍が決定するが、ブレーメンが手放すのを渋ったため、

「ヴェルダーは俺のキャリアを台無しにする」

「もし無理矢理残されたとしても、本気でプレーしない」

と発言。

この爆弾が効いたのか、まんまと移籍に成功。

2002/03シーズンはブンデスリーガ第1節のヘルタ戦で早速得点をあげ、熱いドルトムントサポの心もがっちりとつかむ。

CLにも初出場も果たし、活躍。

特にロコモティブ・モスクワ戦では真冬のモスクワに半袖ユニで現れ、注目を浴びる。

プレーの面でも活躍し、1得点をあげるが、kickerにまでなぜ半袖でプレーをしたのか質問をされていた。

長袖ユニは肌がかぶれる、というのが理由だったらしい。

自身は評価を上げたシーズンであったが、春頃母親を亡くし、それが原因かどうかは不明だが、以来シーズン終了まで調子を落とした。

チーム自体も最後の最後でシュトゥットガルトに2位を明け渡し、3位でシーズンを終える。

2003/04シーズン開始直前、Liga-Pokalのボーフム戦で膝の靭帯を損傷。

だがこの試合は最後までプレーし、翌朝靭帯断裂が発覚。

全治6ヶ月と診断される。

その後、フリンクスはとんでもない回復力を発揮し、12月には既に怪我も完治していたが、ザマー監督に止められ、

ウィンターブレーク明けまで公式戦を休んでいた。

後半戦では肩の靭帯を損傷したり、太ももの筋肉を損傷したが、何故か怪我をしてもプレーをし続け、痛点がないのでは、との声が上がる。

シーズン後半は目覚しい活躍を見せる一方、バイエルンが獲得の意思を表明、にわかに周辺が騒がしくなる。

当初はドルトムント残留を表明していたフリンクスだが、結局はバイエルンへの移籍が決まる。

Euro2004オランダ戦でゴールを決めた翌日、移籍を発表。

2004/05シーズン、バイエルンは国内二冠を達成するも、

フリンクスは不慣れなトップ下で起用されるなど、

フラストレーションの溜まるシーズンを過ごすことに。

結局フリンクスの発言が原因でマガト監督との関係が悪化。

たった1シーズンでバイエルンを去ることに。

ドルトムントで2シーズン、バイエルンで1シーズンを過ごし、

今シーズンから古巣ブレーメンで再びプレーすることになったフリンクス

たった1シーズンでバイエルンを去ったことについては、

バイエルンの激しいMFのポジションで結果を残すことができなかった」というものから、

「目立つことを好まないフリンクスミュンヘンというハイソサエティー・シティは合わなかった」

と散々に言われてしまった。

だが、「俺はクールな奴だから、騒々しいバイエルン独特の雰囲気になじめなかった。別に挫折したわけじゃない。」

というのがフリンクス本人の主張。

2005/06シーズンはその言い分が正しいことをプレーで証明する出色の活躍を披露。

自国開催のワールドカップに出場予定である。