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フレッド・アステア

映画

フレッド・アステア

ふれっどあすてあ

Fred Astaire

1899-1987

俳優、ダンサー、振り付け師、映画制作者、作曲家

「ダンスの神様」として知られる。

略歴

1899年、アメリカネブラスカ州オマハオーストリア移民の子として生まれる。

幼少から2才年上の姉アデールに影響されてダンスをはじめる。

1905年には姉と共に舞台ダンサーとしてヴォードヴィルに舞台デビュー。この際の劇場側のアステア兄弟への評価は「女の子のほうは才能がありそうだが、男の子はなにひとつまともにできない」であった。

1917年には姉と共に『Over the Top』でブロードウェイデビュー。

1928年には、映画スタジオと出演交渉。この時のスタジオのアステアへの評価は以下である「演技は出来ない、唄えない、髪は薄く、少し踊れる」。

1931年に映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック?の誘いを受けてRKO?社と出演契約、映画界入りを果たす。

1933年に『空中レヴュー時代』に脇役として出演。本作品で、後にハリウッド史上最高のダンスパートナーと謳われるダンスパートナージンジャー・ロジャースと初コンビを組む。

翌年の34年には、ロジャースと『コンチネンタル』で初共演をはたし大ヒットを記録する。

この後、35年には『ロバータ』『トップ・ハット』、36年には『艦隊を追って』『有頂天時代』、37年に『踊らん哉』、38年の『気儘時代』と、ロジャースとの共演のミュージカル映画(どれも傑作であろう)が相次いで製作される。演技派女優を志向したロジャースとは、39年の『カッスル夫妻』でコンビを解消。

40年には、後にアステア最高のダンスパートナーと言われることになるエレノア・パウエルとただ一作の共演作『踊るニュウ・ヨーク』に出演。リタ・ヘイワースと41年の『踊る結婚式』、42年の『晴れて今宵は』で共演。ビング・クロスビーと42年の『スイング・ホテル』と翌年の『ブルー・スカイ』で共演し大ヒットを飛ばす。46年には、ライバルと言われたジーン・ケリーと『ジーグフェルド・フォーリーズ』で唯一共演。

1946年には引退宣言。

1948年に怪我をしたジーン・ケリーの代役として『イースター・パレード』で映画復帰。翌年には10年ぶりにしてロジャースとの最後の共演作品になる『ブロードウェイバークレー夫妻』に出演。57年にはオードリー・ヘップバーンと『パリの恋人』で共演。

74年には単独て、76年には、ジーン・ケリーと共にM-G-Mミュージカルを紹介するTV番組『ザッツ・エンターテインメント』『ザッツ・エンターテインメント Part2』で司会を務める。

74年の『タワーリング・インフェルノ』での詐欺師でアカデミー助演男優賞にノミネート。

1987年逝去。