ブラウ作戦

一般

ブラウ作戦

ぶらうさくせん

第二次世界大戦中、1942年の東部戦線におけるドイツ軍夏季攻勢作戦。

1941年〜1942年の冬期戦を終え、春の泥濘が終わってから、翌年の春の泥濘までの一連の戦闘の始まり*1

南方戦区で突破を行い、コーカサス油田地帯の制圧とヴォルガの河川交通の遮断を目指したが、スターリングラードでの市街戦へともつれ込むことになる。


実施まで

1941年に実施されたモスクワ占領を目的とするタイフーン作戦?が失敗に終わったことで、戦争の早期終結への道は絶たれた。赤軍の冬季反攻を(辛うじて)持ちこたえたドイツ軍にとって、前年のバルバロッサ作戦のような全戦線での攻撃は論外だった。

そこで、長期戦を視野に入れた場合に決定的な重要性を持つコーカサス油田地帯が戦略目標として設定された。そして、イニシアチブの奪回のためにハリコフ周辺のソ連軍突出部で攻勢に出て、ドン河屈曲部でソ連軍の戦略予備の捕捉撃滅が設定された。総統命令第41号によるブラウ作戦である。

夏季攻勢

5月17日、ハリコフ南方戦区でのドイツ軍攻勢が開始された。電撃戦の魔力は健在でソ連軍は各所で撃破された。6月28日にブラウ作戦が開始された。

しかし経験から学習した赤軍は拠点に立てこもって包囲殲滅される愚を犯さず、割とあっさり戦略的撤退を行った。結果、戦略予備の撃滅という目的は不十分なままとなった。これを「戦力が予想以上に低下しているから撤退したのだ」vs「戦力を温存するために土地を捨てたのだ」のどちらの見解を取るのかで大分対応が変わることになる。

ともかくヒトラーは7月7日に南方軍集団をA軍集団とB軍集団に分割、A軍集団コーカサスへ、B軍集団スターリングラードへと向かわせた。当初はコーカサスへの進行は順調だったが、ドイツ軍の補給線が延びる一方で、ソ連軍が持久できるだけの戦力を集めて十分な防衛線を構築することに成功したことで、挫折することになった。

そういうわけで残る目標の中で達成可能そうだったスターリングラード占領がクローズアップされることになった。

*1:本当の始まりは赤軍の攻勢で始まる第二次ハリコフ戦ですが