ヘンリー8世

社会

ヘンリー8世

へんりーはっせい

イングランド国王。1491〜1547年(在位1509〜1547)。父はヘンリー7世、母はエリザベス王妃次男)。

1509年にヘンリー8世として即位。婚約していたキャサリン・オブ・アラゴンと結婚するが、離婚(婚姻の無効)を求めてローマ教皇クレメンス7世と対立し、教皇権から分離した「イングランド国教会」(英国国教会)を成立させた。これがイングランドにおける宗教改革となる。これを認めなかったクレメンス7世から、1533年に破門宣告を受ける。1534年には国王至上法(首長令)を発布し、イングランド国教会の長となった。

キャサリン・オブ・アラゴンとの間にはメアリー王女(後のメアリー1世)がいたが、ヘンリー8世キャサリン追放し、1533年にアン・ブーリンと結婚。アン・ブーリンとの間には王女エリザベス(後のエリザベス1世)が生まれた。1536年、アン・ブーリンが姦通や不義密通の罪で処刑され、その年に3人目の王妃ジェーン・シーモアと結婚。ジェーンは1537年にエドワード王子(後のエドワード6世)を出産したが、難産のため死亡。ヘンリー8世はアン・オブ・クレーヴズを4番目の妃として迎えたが、半年後に離婚。1540年にキャサリン・ハワードと結婚するが、キャサリン・ハワードは姦通の罪で処刑される。1543年、6番目かつ最後の王妃であるキャサリン・パーと結婚。キャサリン・パーは当時庶子となっていたメアリー、エリザベス(第三継承法によって王位継承者に復帰)と、エドワードを養育した。

1547年、55歳で崩御。その死に伴い、王子エドワードは9歳でエドワード6世として即位した。