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ベルトルト・ブレヒト

アート

ベルトルト・ブレヒト

べるとるとぶれひと

Bertolt Brecht

ドイツ劇作家

1898年、生まれ。1956年、死去。

1928年、クルト・ヴァイルとの合作『三文オペラ』で大成功を博す。29年から36年にかけて共産主義運動に参加。その後、ナチスの台頭によって故国を離れ、スカンディナヴィアから合衆国亡命。その間、『ガリレオの生涯』(37年)、『肝っ玉おっかあ母とその子供たち』(39年)を書く。戦後、49年以降、東ベルリンに住み、劇団「ベルリーナー・アンサンブル」を結成し、字幕スライドや歌を用いた「異化」効果の理論に基づく政治演劇活動を展開。

年譜

1898年 アウスグブルクに生まれる。父は工場長ミュンヘン大学医学自然科学を学ぶが、そのころすでに文学への関心が芽生えていた。

1918年には第一次大戦野戦病院へ召集される。

1922年『夜打つ太鼓』『バール』が出版される。

1920年代ベルリンは世界でも有数の演劇都市だった。ミュンヘンベルリンの劇場でドラマトゥルグとして活躍。

1926年ころよりマルクス主義を学び始め、後の教育劇の基礎となる。18世紀英国のジョン・ゲイ作の戯曲「乞食オペラ」を下敷きとした『三文オペラ』をクルト・ヴァイルとともに創作。

1928年 エーリッヒ・エンゲルの演出で大成功をおさめ、ブレヒトの名は一躍世界に知られるようになる。これはいわゆる「叙事的演劇」の第一作にあたり、ブレヒトは舞台上の英雄たちに観客が感情移入しないように、異化作用を通して批判的な距離を持たせようとした。

1929年 女優ヘレーネ・ヴァイゲルと結婚。

1931年には映画『三文オペラ』が上映。このころプロレタリアートの問題を描いた映画『クーレ・ワンペ』の脚本にとりかかる。

1932年 映画『クーレ・ワンペ』が検閲にひっかかりその共産主義的煽動により上映禁止となる。さまざまな反対運動により後に手を加えて上映される。

1933年 ベルリン帝国議会放火事件の翌日ベルリンを脱出、プラハ、ヴィーン、スイスを経て、デンマークへ逃れる。亡命生活を送る中で、多くの反ファシズムの作品を書き、またハンス・アイスラーやヴァルター・ベンヤミンとも知り合う。

1937年『カラーラのおかみさんの鉄砲』がパリで初演される。

1939年 スウェーデン亡命、その後デンマークノルウェーを経てフィンランドにたどりつく。

1941年には米国亡命。ここで作品『アルトゥロ・ウイのあるいはおさえることもできた興隆』を書く。

1947年ガリレイの生涯』が『ガリレオ』のタイトルでビヴァリーヒルズで上演される。アメリカから出国。

1949年『肝っ玉おっ母とその子供たち』がヴァイゲルの主役でチューリヒで初演。東ベルリンへ移る。同年11月にブレヒト演出による「ベルリナー・アンサンブル」第一回公演『プンティラ旦那と下男マッティ』が行われる。

1954年 ベルリナー・アンサンブルがドイツ座から現在の本拠地シッフバウアーダム劇場へ引っ越す。

1956年 死去。