キリスト教における「異言」は聖書にも記述がある。 旧約の時代に異言が話されていたか、研究者に委ねられるが、イザヤ書には異言が語られるという預言の箇所はある。 イザヤ書 28:11 (口語訳) 「彼は、『これは私の休息である、疲れた者を休ませ、この場所で安息を与える』と言ってくれるまで、異国の舌と、異なった言葉でこの民に語られる。」 異言とは現在ある既存の言語ではない、言語にならない言語のようなものである。 その人の霊的なものが聖霊により音として「霊」が語るというような現象である。 新約聖書には具体的な記述がある。 コリント人への手紙第一 14:4 (口語訳) 「異言を語る者は、自らを高め、預言…