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マンフレッド・タフーリ

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マンフレッド・タフーリ

まんふれっどたふーり

マンフレッド・タフーリ(Manfredo Tafuri,1935-1994)はイタリア建築史家。過去半世紀における最も重要な建築史家の一人とされる。

ローマ生まれ。父親は公共省の技師でカトリック、マンフレッドが生まれたとき56歳か57歳で、母親はユダヤ人で同じくマンフレッドが生まれたとき40歳を過ぎていたという。ローマ大学でG.C.アルガンから美術史学の手ほどきを受け、またルドリコ・カローニから影響を受ける。学生時代に観たミケランジェロ展に義憤を感じ、建築史家の道を選択する。1967年に『建築の理論と歴史(Teorie e storia dell'architettura) 』を刊行。パレルモ大学をへて1968年ベネチア建築大学教授となる。

1974年にプリンストン大学に招聘され、こののち1970年代にはピーター・アイゼンマンケネス・フランプトンらが主宰するニューヨーク建築都市研究所に接近する。またマッシモ・カッチャーリやフランチェスコ・ダルコー、ジョルジオ・チウッチやマリオ・マニエリ=エリアなどとともにベネチア学派をなしていた。

タフーリが批判的にいう効力批評(operative criticism)とは、ある目的を持ち、その目的のために過去を未来へと計画=投影(to project)する歴史記述のあり方、あるいはジークフリート・ギーディオンの歴史記述に見られるように、自らの運動に効力的となるよう記述するあり方を言うものであった。この効力批評批判はマリオ・トロンティ経由のマルクス主義イデオロギー批評から来ているとされる。

建築史家・批判の文脈でいわれる反計画主義は、同時代イタリアにおける反計画主義(Contropiano)と並行していた。


主な著書に

1973年 Progetto e Utopia (邦訳、建築神話の崩壊)

1976年 Architettura contemporanea(邦訳、近代建築)、フランチェスコ・ダルコーと共著

1986年 La sfera e il labirinto : Avanguardia e architettura da Piranesi agli anni ’70(邦訳、球と迷宮)

などがある。