Mircea Eliade (1907-1986) ルーマニア生まれの宗教学者、文学者、小説家
1907年 3月9日、ルーマニアの首都ブカレストに陸軍将校ギョルゲ・エリアーデの次男として生まれる。家には美しく革で製本した数百冊の蔵書があった。母ヨアナは就寝の前には『アンナ・カレーニナ』やエミネスクの詩を読むようなひと。
廃墟の地下室や近郊の森林の隠れ家を探検して回ったり、昆虫採集に夢中になる活発な少年時代を過ごす。教科書は最初の一週間で読み終えてしまい、あとは乱読する読書好きだった。高等中学時代にルーマニア語、フランス語で落第点をとり、追試験を課せられる。このとき「型にはまった教育を受ける能力」がないことを自覚する。と同時に長短の散文や論文を『民衆科学新聞』に発表し始める。処女作『私はいかにして賢者の石を発見したか』は幻想短編小説、『蚕の害虫』は論文。
1925年 ブカレスト大学文学部入学。イタリア・ルネッサンスを卒業論文として28年に卒業。奨学金を得てインドに渡り、サンスクリットを学び、ヒマラヤの峯の苦行者の小屋でヨーガやタントラを修行する。
日本に於いては宗教民俗学者の堀一郎氏(柳田國男の女婿)と親交があった。
1931年 帰国。
1932年 ヨーガの研究論文で博士号を得て翌年、ブカレスト大学哲学科助教授となる。弱冠25歳。
1934年 ニーナ・マレシュと結婚。
1938年 国王と極右組織レジョナール運動の間の抗争に巻き込まれて収容所生活を経験する。
1940年 ロンドン駐在文化アタッシュとして赴任。
1941年 リスボンに転勤。
1944年 ニーナ死す。
1945年 リスボンから直接パリに移住。
1946年 ソルボンヌで宗教史を講義。
1950年 クリスティネル・コテスクと結婚。
1957年 シカゴ大学宗教史教授。
1958年 国際宗教学宗教史学会議のため来日。
1986年 4月21日没。
以上『19本の薔薇』住谷春也訳の解説ページから