「初の共催大会」 日本の選択 初の共催大会へ サッカービジネスの世界拡大構想を抱くFIFAは、94年のW杯開催地が「サッカー不毛の地」アメリカに決まると、その後はアジアへの展開を求めた。そんなアヴェランジェ会長の呼びかけに応えたのが、国内リーグのプロ化を進めていた日本である。 日本は89年に開催地立候補を正式表明、91年には招致委員会を発足する。そして93年に会場となる自治体候補が決定するなど、着々と招致への準備が進められた。当初立候補を予定していた中国、サウジアラビアが招致を断念。このまますんなり日本開催が決まるかと思えた。 そんなとき、韓国が開催地立候補の意思を表明。現代グループ一族の鄭夢…