ユグルタ戦争

一般

ユグルタ戦争

ゆぐるたせんそう

共和制ローマの戦争の一。紀元前111年〜105年

名前の通り、ヌミディア王ユグルタとローマとの戦争。ローマ側に不手際が目立ったが、最終的にこの戦争に敗れたヌミディアは、事実上独立を喪失した。

概略

紀元前118年、ヌミディア王ミキプサ*1が亡くなった。彼には二人の実子、ヒエムプサルとアドヘルバルがあり、さらに養子ユグルタ*2があった。ここに王位の争いが起きた。

ユグルタはヌマンティア戦争に援軍として赴いた経験もあり、ローマの内情を熟知していた。ついでに*3野心や、陰謀の手腕やそれを実行する意志には不足はなかった。そういうわけでユグルタによってヒエムプサルが暗殺されると、アドヘルバルはローマに逃亡した。

ローマ元老院は調停を計り、ヌミディアをアドヘルバルと二分するように命じた。ユグルタはこれを一応受け入れたが、ほとぼりがさめるとアドヘルバルのいるキルタを攻囲した。そしてローマからやってきた使者もうまくはぐらかして*4キルタを陥落させ、アドヘルバルを殺害した。

この事態にさすがに元老院はユグルタへの戦争を開始した(紀元前111年)、のだが、やってきた指揮官もユグルタは賄賂で懐柔してしまい、有利な和平を結ぶことに成功する。

が、さすがにこの事態はローマ本国の憤激を呼ぶ結果となった。本国から、新たな司令官として、執政官メテルスが送り込まれる。この部隊にはマリウスも参加していた。戦役が長期化する中、マリウスは巧妙に立ち回って総司令官に就任する。

が、戦争に決着をつけたのは、結局は軍事的な側面ではなく計略によってであった。スッラがユグルタの岳父に当たるマウレタニア王を離間させてユグルタを捕らえたことで決着した。ローマに連れ去られたユグルタは、そこで生涯を終えることになる。

戦争に勝ったものの、どう見ても不手際、特に元老院の問題点が目立った戦争であり、共和制末期の混乱を示すものの一つである。また、カエサル以前の内乱の一つの頂点をなす、スッラマリウスの対立を準備したことも見落とせない。

*1:Micipsa スキピオの同盟者マシニッサの子

*2:ミキプサの甥とも

*3:後世の批判的要素を考慮したとしても

*4:魚心あれば水心、というやつだと思われる