ヨハン・ミヒャエル・ハイドン

音楽

ヨハン・ミヒャエル・ハイドン

よはんみひゃえるはいどん

オーストリア作曲家

1737年9月14日、生まれ。1806年8月10日、死去。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5つ下の弟。ヨーゼフ・ハイドンと同じ合唱団で活躍していたが、兄の退団後に人気を獲得する。作曲は、兄と同様ほとんど独学で、フックスの「グラドゥス・アド・パルナッスム」を教科書とした。

1762年、ザルツブルグ大司教コンサートマスターとなる。その後は360曲にものぼり、ヨーロッパ中に知られた教会音楽や、交響曲など、兄に負けない多作ぶりを発揮した大作曲家となった。モーツァルト父子との親交も深かった。特に、ミヒャエルの弦楽五重奏曲がヴォルフガング・モーツァルトに与えた影響は有名。ザルツブルクを飛び出したモーツァルトの後任として1781年から、宮廷と大聖堂の楽長となった。

1800年、フランス軍ザルツブルク占領によって全ての財産を失ってしまってなお、兄が仕えていたエステルハージ侯家などから福楽長の地位などの提供を申し出られたが、ミヒャエルはザルツブルグにとどまり続けた。1806年、マリア・テレジアから委嘱された「レクイエム」が未完のまま、当地で病没。