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ルイ・カーン

(一般)
るいかーん

ルイ・カーン(ルイス I.カーン、ルイス・イザドア・カーン、Louis Isadore Kahn, 1901年 - 1974年)は、アメリカ合衆国の建築家。建築家としての実務のかたわら建築批評も行い、また大学で教鞭もとった。
1902年生まれという説もある。エストニアに生まれ、家族とともに1906年にアメリカに渡っている。1890年代以降農作物の不作と経済恐慌の余波からアメリカに移住する東欧系ユダヤ人は多くなったが、当時エストニアはロシア領だったため、父親が日露戦争の兵役を逃れるために先に渡米したという説もある。一家の生活は鉛筆を買う余裕もないほど貧しく、炭となった小枝を用いて少年時代のカーンは絵を描いたという逸話がある。1914年に家族とともにアメリカに帰化し、このとき名前をそれまでのイツェ=ライプ・シムイロウスキー(Itze-Leib Schmuilowsky)から、ルイ・カーンに変えた。ルイス・I・カーンと発音され、そう表記されることもある(ミドルネームが入った場合にファーストネームのルイがルイスになるのは、ミドルネームが母音で始まるためと思われる。また、生前を知る人がしばしばそう呼ぶようにルイの愛称はルーであり、ルイがルイスの愛称というわけではない。以下の頁も参照。http://www.pronounceitright.com/pronounce/6160/louis-kahn)。
ペンシルべニア大学建築学部(現・デザイン学部建築学科)でポール・フィリップ・クレのもと、ボザール流の建築教育を受けた。卒業旅行で行ったヨーロッパでは、現代的な建築よりヴィオレ・ル=デュクによる修景で有名なカルカッソンヌなどの中世都市に感銘を受けている。
ニューディール時代はフィラデルフィアのジョージ・ホウやオスカー・ストロノフや連邦住宅局などとともに、低所得者向け住宅の設計などに従事している。戦後じょじょにその名が知られるようになり、ペンシルベニア大学リチャーズ研究所で一躍有名になった。
他方ではバックミンスター・フラーやアン・ティンなどとも一時期協働している。フィラデルフィア計画の幾何学形態の塔やイェール大学美術館のワッフルコンクリートなどはその影響であるといわれる。ソーク研究所をはじめとして構造家のオーガスト・コマンダントとの協働も有名である。ソークでは有名なサーブド・スペースとサーバント・スペースという二種類の空間による構成だけでなく、構造体と設備の一体化も考えられている。
そのソーク研究所やキンベル美術館などではコンクリート打放しに際してポゾランを混入し、トラバーチン大理石やチーク材などとの仕上げの取り合いをじつに滑らかなものにしている。また打放しに際して型枠端部をV字状にカットして出目地を用いるのも、カーン独特のものであった。
バングラデシュ出張帰りにニューヨーク・ペンシルベニア駅の公衆トイレで行き倒れとなり、しばらく身元が分からなかった逸話は有名である。
また建築家のロバート・ベンチューリは、一時期カーンの事務所に勤務していた。


主な作品に
イェール大学美術館(1951-53)
ペンシルベニア大学リチャーズ研究所(1957-1965)
インド経営大学(1962)
ソーク研究所(1959-65)
ロチェスター・ユニタリアン教会(1959-69)
バングラディシュ国会議事堂(1962-74)
キンベル美術館(1967-72)
イェール大学ブリティッシュアートセンター(1969–1974)

などがある。

テクトニック・カルチャー―19-20世紀建築の構法の詩学

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