エーゲ海南部にあるロードス島を本拠地として活動した騎士修道会。聖ヨハネ騎士団が1309年に東ローマ帝国領であったロードス島を奪いここに本拠地を移したのでこのように呼ばれている。騎士団の構成員は騎士が500人程度。
1312年にテンプル騎士団の資産が没収されたとき、かなりの部分が聖ヨハネ騎士団に与えられた。また、中東のイスラム教徒と戦う唯一の主要な騎士修道会となったため、西欧から多額の寄進を受けることができた。1444年にはエジプトのスルタン、1480年にはオスマン帝国のメフメト2世の襲撃を受けたが、騎士団はこれを撃退した。西欧では久しぶりのオスマン・イスラム勢力に対する勝利として騎士団の評判は高まったが、1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝が400隻の船団と20万人の兵で来襲した。対する騎士団側は雑兵まで含めて7千人ばかりで、必死の防戦を繰り広げたが衆寡敵せず、ついにロードス島を明け渡してシチリア島に撤退した。