Roberto Baggio
イタリア代表歴のある元サッカー選手
“ロビー”、“ラファエロ”、“ディヴィン・コディーノ(聖なるポニーテール)”、比類なき創造力から“モーツァルト”と称されることもある。
1990年FIFAワールドカップでは“イタリアの新星”と呼ばれその後“イタリアの至宝”と呼ばれる。
“ファンタジスタ”という言葉が最も似合うプレーヤーとしても有名。
イタリア国内、国外に数多くのファンを持ち、熱狂的なファンを“バッジスタ”、“バッジーナ”等と呼ぶ。
【シーズン成績】
シーズン | チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
1982-83 | VICENZA | SerieC1 | 1 | 0 |
1983-84 | VICENZA | SerieC1 | 6 | 1 |
1984-85 | VICENZA | SerieC1 | 29 | 12 |
1985-86 | FIORENTINA | SerieA | 0 | 0 |
1986-87 | FIORENTINA | SerieA | 5 | 1 |
1987-88 | FIORENTINA | SerieA | 27 | 6 |
1988-89 | FIORENTINA | SerieA | 30 | 15 |
1989-90 | FIORENTINA | SerieA | 32 | 17 |
1990-91 | JUVENTUS | SerieA | 33 | 14 |
1992-92 | JUVENTUS | SerieA | 32 | 18 |
1992-93 | JUVENTUS | SerieA | 27 | 21 |
1993-94 | JUVENTUS | SerieA | 32 | 17 |
1994-95 | JUVENTUS | SerieA | 17 | 8 |
1995-96 | A.C MILAN | SerieA | 28 | 7 |
1996-97 | A.C MILAN | SerieA | 23 | 5 |
1997-98 | BOLOGNA | SerieA | 30 | 22 |
1998-99 | INTER MILAN | SerieA | 23 | 5 |
1999-00 | INTER MILAN | SerieA | 18 | 4 |
2000-01 | BRESCIA | SerieA | 25 | 10 |
2001-02 | BRESCIA | SerieA | 12 | 11 |
2002-03 | BRESCIA | SerieA | 32 | 12 |
2003-04 | BRESCIA | SerieA | 26 | 12 |
【所属クラブ別個人成績】
シーズン | チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
1982-85 | VICENZA | SerieC1 | 36 | 13 |
1985-90 | FIORENTINA | SerieA | 94 | 39 |
1990-95 | JUVENTUS | SerieA | 141 | 78 |
1995-97 | A.C MILAN | SerieA | 51 | 12 |
1997-98 | BOLOGNA | SerieA | 30 | 22 |
1998-00 | INTER MILAN | SerieA | 41 | 9 |
2000-04 | BRESCIA | SerieA | 95 | 45 |
【プロ成績】
シーズン | 所属 | 試合 | ゴール |
1982-85 | SerieC1 | 36 | 13 |
1985-04 | SerieA | 452 | 205 |
1982-04 | プロ通算 | 488 | 218 |
【所属クラブ獲得タイトル】
1992-93 ユヴェントスFC UEFAカップ優勝
1994-95 ユヴェントスFC セリエA優勝
1994-95 ユヴェントスFC コッパ・イタリア優勝
1995-96 ACミラン セリエA優勝
【個人獲得タイトル】
1993年 バロンドール=欧州最優秀選手(フランスフットボール)
1993年 FIFA世界最優秀選手
1993年 世界最優秀選手(ワールドサッカー)
【代表個人成績】
イタリア代表通算 56試合 27ゴール(歴代4位)
【ワールドカップ成績】
1990年イタリアW杯 3位
1994年アメリカW杯 準優勝
1998年フランスW杯 ベスト8
【W杯個人成績】
1990年イタリアW杯(No.15) 5試合2ゴール
1994年アメリカW杯(No.10) 7試合5ゴール
1998年フランスW杯(No.18) 4試合2ゴール
1986-87シーズン、ACフィオレンティーナでセリエAデビューした時、すでにバッジョの右膝には220針もの手術の後があった。(1985年5月5日、リミニ・カルチョFC戦での負傷。相手監督はアリゴ・サッキ)
1987年 5月10日、SSCナポリ戦
ディエゴ・マラドーナ率いるSSCナポリは勝てばスクデッド、ACフィオレンティーナは降格争い真っ只中、1点を追う展開で得たFKを監督ベルセッリーニがNo.10・ジャンカルロ・アントニョーニではなくバッジョをキッカーに指名。これを決めてセリエA初ゴールと共にACフィオレンティーナを降格から救う勝点1を得た。(ちなみに2位FCインテル・ミラノの試合結果によりSSCナポリはこの節でスクデッド獲得)
1990年 7月 7日、W杯3位決定戦イングランド戦、得点王がかかっていたサルバトーレ・スキラッチにPKを譲り、スキラッチは得点王を獲得
1990年 6月19日、ワールドカップ1次リーグのチェコ・スロバキア戦、左サイドから3人抜きドリブルシュートでW杯デビュー・初ゴール。このゴールが1990年イタリアW杯ベストゴールに選ばれる。
ロベルト・バッジョのイタリア代表ゴールは22試合27ゴール。その試合の成績は18勝4分で“バッジョが点を決めれば負けない”神話が生まれた
1993年12月24日、バロンドール受賞。イタリア人として11年ぶりの受賞
2000年5月23日、パルマAC戦(CL出場権プレーオフ)。前半35分にFKで先制、同点にされた後半38分左足ボレーで決勝点。
ガゼッタ・デロ・スポルトでの評価点が“10”。この試合を最後にバッジョがFCインテル・ミラノを退団し、CL出場権を獲得したマルチェロ・リッピが続投決定という皮肉な結果となる。
1989年11月19日、アスコリ・カルチョ戦 初のトリプレッタ
1992年 2月 2日、USフォッジャ戦 2度目のトリプレッタ
1993年 5月 9日、USフォッジャ戦 3度目のトリプレッタ
1993年10月31日、ジェノアCFC戦 4度目のトリプレッタ
1997年11月 2日、SSCナポリ戦 5度目のトリプレッタ
2001年 5月 6日、USレッチェ戦 6度目のトリプレッタ
2001年 9月30日、アタランタBC戦 7度目のトリプレッタ
1992年11月 8日、ウディネーゼ・カルチョ戦 1試合4得点
カルロ・マッツォーネ。ロベルト・バッジョの最大の理解者
ブレシアの監督として2000-03の3シーズンを共にプレーする
「私はバッジョをピッチに送り出すとき一つだけ指示をする
『90分間で一度だけでもいいから君らしいプレイをしてくれ』とね
それが我々に歓喜をもたらすのを私は知っているからね」
「ネドベドもヴィエリもトッティもいらない。バッジョだけで十分さ」