ヴァーツラフ・ノイマン

音楽

ヴァーツラフ・ノイマン

う゛ぁーつらふのいまん

1920年〜1995年

チェコ出身の指揮者プラハ音楽院にてスメタナ四重奏団のヴィオラを受け持つ。20歳でヴァーツラフ・ターリッヒに師事し5年間指揮法を学ぶ。音楽院卒業後ヴィオラ奏者としてチェコ・フィルに入団するが、1947年ラファエルクーベリックの代役として指揮台に立ち、見事に務め、1948年チェコ・フィル常任指揮者となる。

1950年チェコフィル指揮者を辞任する。ブルーノ交響楽団指揮者となり、その後長く市立プラハ交響楽団の常任を務める。その後ライプチヒ放送交響楽団ドレスデン歌劇場ライプチヒ歌劇場など東ドイツを中心に活動。1963年カレル・アンチェルと共同でチェコ・フィルの常任指揮者に再び就任し、翌1964年にはライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者、ならびにライプチヒ歌劇場の音楽監督に就く。1968年、「プラハの春」の動乱が起きるとソビエトと東独を含むワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻に激怒し、母国へ急遽帰国し東ドイツでの地位を投げ捨てチェコ・フィルに専念。(逆にクーベリックドイツへ去る。)爾来亡くなる1995年までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、オーケストラの技術向上に尽力した。

チェコボヘミア国民楽派の作品やドイツロマン派の作品の指揮を得意にした。中でもとりわけ、ドヴォルザークスメタナマルティヌーヤナーチェクなど、母国の国民楽派作品の指揮で有名。遺作となったのはマーラー交響曲第9番、「これ以上のアダージョはあり得ない。私は完全に満足した。」と言ったという。マーラーの二度目のチクルスは交響曲第7番、第8番を残して未完成に終わった。