阿修羅原

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阿修羅原

あしゅらはら

阿修羅原(本名:原進)は、日本の元プロレスラー

1947年1月8日生まれ、長崎県北高来郡森山町(現・諫早市)出身。

諌早農高、東洋大学ラグビー部で活躍。近鉄入社後は日本代表にも選出され、日本人でただ一人世界選抜のメンバーに選ばれるなど希有なラグビー選手だった。

1976年、プロレスに転向し国際プロレスにてデビュー。海外遠征より帰国後、作家の野坂昭如命名によりリングネーム阿修羅原とした。

1980年国際プロレス崩壊とともに全日本プロレス入り。一匹狼のヒットマンとして天龍源一郎をつけ狙っていたが、天龍が全日本隊と袂を分かつと彼と共に天龍同盟を結成。「龍原砲」と謳われたタッグで妥協を許さない厳しいファイトスタイルを展開してマットを席巻し、長州力離脱後一時的に落ち込んだ全日本プロレス人気再沸騰の導火線となった。

その後、解雇されるもSWSで復帰。SWS崩壊後は天龍率いるWARに参加。

1994年8月、ヒザや腰の故障による体力の限界を理由に引退。得意技はヒットマンラリアット。

引退後は母校の諫早農業高校ラグビー部のコーチとなり、2002年には全国大会へ導いた。

2015年4月28日、長崎県諫早市近郊の病院で死去、68歳没。

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