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伊藤英明

一般

伊藤英明

いとうひであき

伊藤英明(いとう ひであき、1975年8月3日 - )は、日本の俳優である。本名同じ。

岐阜県岐阜市出身。芸能事務所は、A-teamエーチーム)所属。旧芸名、阿部 純大(あべ じゅんた)。身長183cm。足のサイズは26.5cm。しし座岐阜県立岐南工業高等学校卒業。

映画・テレビドラマを中心に活躍し、アクション、シリアス、コメディ、時代劇まで多彩な役柄をこなす。映画『海猿』4部作に主演し、海洋パニック映画の金字塔を立てている。


略歴


デビューまでの経緯 - 生い立ち

  • 自衛官の父親、母親、二歳年下の妹の四人家族で、高校卒業まで岐阜で過ごした。日刊スポーツのインタビュー(2004)によると、幼稚園の頃に慢性腎炎と診断され、入院生活を送るようになったという。入院先の病院の大部屋では、友達になった子が亡くなる出来事にも遭遇した。小学校入学後も入退院を繰り返したため、小学校には通算で3年間通っただけである。運動会への参加は1回だけ、林間学校には参加したことがなく、クラスにはあまり溶け込めなかった。給食は塩分を調節するためお湯で薄めて食べていた。小学校の思い出はほとんどないが、母親がしばしば自分を抱きしめて泣いていたことははっきり覚えている。障害者手帳を手に、両親は「死」を覚悟したという。幼少期から死と向き合ってきたせいか、成人後も、自分が「もういいや」と諦めてしまったら、いつでも逝ってしまうという思いが強く、同時に、自分は生かされているという思いも人一倍強い。そのため、「後悔しないように今頑張らないと、楽しまないと、チャレンジしないと」といつも感じている。また、「人生、死ぬまで成功か失敗か分からない。何もしないで後悔するなら、チャレンジして後悔したほうがいい」という人生観を持っている。なお、慢性腎炎は小学6年生の時、扁桃腺手術をした後に完治したという。
  • 自然体・自由でいることを大切にしている。前出の日刊スポーツのインタビュー(2004)によると、1993年に雑誌のコンテストで準グランプリを獲得し、翌年岐阜から上京している。人気CMへの出演も決まったが、当時の所属事務所の方針でまず方言から直され、髪型や服装も決められ、キャラクターがつくられていくことに疑問を感じた。素の自分とはどんどんかけ離れていく窮屈さの中で、気づくと10キロも痩せていたという。結局、この事務所とは合わずに間もなく辞めてしまったが、芸能界には再チャレンジをしようと思っていた。そのため東京に残りアルバイトを始めたが、とび職や解体工事などの肉体労働を選び、割のいい夜のアルバイトは「流されるのは嫌」と避けた。アルバイト生活がおよそ2年間続いた後、現所属事務所A-teamエーチーム)のスタッフに声をかけられ、1997年に俳優として再始動している。

映画『海猿』以降 - 役者魂

  • 大作映画への出演が多いため、役作りや撮影準備にも時間をかける。yahoo映画のインタビュー(2004年)によれば、映画『海猿』では、広島県呉市で2カ月間ほど合宿生活を送り、海上保安官が実際に行う訓練も体験している。キャスト同士が役名で呼び合い、使用する潜水用具も自分達で管理したため、役を離れる必要がなかったという。そのため俳優として仙崎大輔という役柄を演じるのみならず、一個の人間としての経験や感動をスクリーンの中で体現した部分も多い。特に訓練シーンでは、体力や気力の限界点の「極限の表情」が出るまで、監督の羽住英一郎の「カット」の声がかからなかったこともある。撮影自体は非常に厳しいものであったが、自らの当たり役ともいえる役柄に出会えたことを誇りに思っており、また、常に危険と隣り合わせの状況にいる海上保安官を心底尊敬するようになっている。
  • 一生役者を続けようと思えるようになったのは、様々な作品を通して出会った人たちやファンの御蔭と感謝している。朝日新聞×マイナビのインタビュー(2010)で、伊藤は、現場では職人気質の志の高いプロ達が死に物狂いで、また周囲を気遣いながら作品づくりに取り組んでいると語っている。伊藤はその中で仕事ができることに幸せを感じている。同時に、自分の出演作を心待ちにしてくれるファンのありがたさをも痛感している。伊藤は再デビュー後も、芸能界は努力がすぐ報われる世界ではないと考えており、過剰な期待感は持たなかったという。だが、上述の点に気づいてからは、それまで以上に仕事に対して強い責任感を抱くようになったという。伊藤は自身のことを「やる時はやる、相当頑張ってしまう性格」と評しているが、20代の頃と比較すると、見栄を張らずに、できないことはできないと認めつつ、最大限に努力すればいいと思えるようになっている。つまり、熱いものを秘めつつもいい具合に肩の力が抜けているようである。
  • 海猿』シリーズは役者やスタッフの意気込みのみならず、ファンに支えられてつくられた作品である。上述の朝日新聞×マイナビ(2010年)のインタビューによると、本シリーズについては、監督の羽住も伊藤も、映画第2作目で終了と考えていた。2本の映画はいずれもヒットしており、伊藤にはブレイクした役にいつまでもすがりたくないとの意地もあった。だが、ファンの署名運動によって映画第3作目が制作されることになり、「色々な意味で前作を超えられるように努力すればいい」と覚悟を決めて、撮影に臨んだという。そのような体験過程を通して、「何でも本気で取り組めば伝わるし、自信が芽生えて不安や恐怖心もなくなる」と考えるようになっている。
  • 『252 生存者あり』の主人公のキャラクターは、伊藤が演じることを前提としてつくられている。シネマトウデイ(2008年)によると、『海猿』シリーズの原案者の小森陽一が、『LIMIT OF LOVE 海猿』の撮影現場に、原稿用紙10枚ほどの『252 生存者あり』のプロットを持って訪ねてきたという。伊藤は小森のリアルに人間ドラマを描きだす手腕を尊敬しており、また、自分を想定して書いてくれたということに感動したという。そこでこの話を旧知の監督水田伸生に原案を持ち込み、映画化が実現した。伊藤は丁寧な役作りをするために、実際のハイパーレスキュー隊員に話を聞いたり、東京消防庁で訓練を受けたりしている。ハイパーレスキューの仕事には、『海猿』で演じた海上保安官同様に敬意を表している。
  • 体を動かすことが好きで、趣味は乗馬、サーフィン、スキューバダイビングスカイダイビングスノーボードと幅広い。スキューバダイビングについてはインストラクターの資格を持っている。
  • タレントのなすびとは、生年月日も血液型も同じである。二人は『OUT〜妻たちの犯罪〜』で共演したことがある。
  • 2012年8月30日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の『新・食わず嫌い王選手権』では石川佳純のために海外のスケジュールを1日遅らせて出演した。しかし、くさやが大の苦手で、頑張って食べるも冷や汗をかいた上に顔面蒼白になっており、木梨憲武に食べさせられるたびに「本当にごめんなさい」と何度も謝るほど拒絶する。その様子を木梨は「芝居だからね」と言っていたが、結局対戦相手の石川佳純に一度で当てられてしまい、罰ゲームでも食べさせられた。また、くさやほどではないが高野豆腐も苦手であることが、過去の放送(2004年6月24日放送分)で明らかになっている(理由は「スポンジを食っているみたいだから」)。

受賞歴


主な出演作

テレビドラマ

その他のテレビ番組

映画

CM

舞台

PV


出版

エッセイ

  • ID4
  • HIDEAKIZM

写真集

  • MOROCCO

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