釈尊が仮に、生天思想や輪廻思想に本来は否定的であったと仮定した場合、釈尊の覚りとはどのようなものだったと考えられるか?について、西田幾多郎の哲学を参考に筆者の勝手な一私見を書いたものが下記の記事になります。 hiruandon-desu.hatenablog.com 西田幾多郎は個人の死後について、個人の死がその人の死において完全な終わりというわけではなく、社会・文化・人類歴史の流れ等の中でその存在が継続すると考えました。その存在が社会や文化と密接に関連し、さらにはそれらに貢献することによって本質的な意味を持つという考え方に基づいているといえます。故人は歴史的生命(歴史的遺産)となって、それを…