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円空

(アート)
えんくう

えんくう 円空 1632‐95(寛永9‐元禄8)
 
江戸初期の遊行造像僧。美濃国(岐阜県羽島市上中町)の生れ。
若くして出家、尾張国(愛知県)師勝村の高田寺で金剛・胎蔵両部の密法を受け、諸国遊行の旅にでる。
1664年(寛文4)ころまで美濃地方にいて名古屋荒子観音寺などで造像,65年蝦夷(えぞ)地に渡る。
74年(延宝2)には志摩半島、その後は美濃・飛騨地方に入り、袈裟山千光寺や山間僻地(へきち)に
多くの仏像をのこす。

89年(元禄2)には伊吹山、日光などに遊行、翌90年ふたたび美濃・飛騨地方にもどって
晩年の円熟した彫像を刻む。
生涯、東日本を遊行し、造像活動をつづけた。
円空の没年は岐阜県関市の弥勒寺にある墓碑銘から明らかであり,生年については不明であったが、
上野国(群馬県)一宮の貫前(ぬきさき)神社旧蔵の写経の断簡に「壬申生美濃国円空(花押)」と
あることから、1632年の生れであることが判明した。

円空は12万体の造像を発願して,多くの木彫仏を特異な彫法で刻んだ。
現存作だけでも5000体を数える。丸木の原材をいくつかに割り,割った面を巧みに生かして、
そこに岩肌のような面(プラン)の構成を生み、正面性を強調した。その「鉈(なた)ばつり」といわれる
荒彫り彫法の生むバイタルな表出は、現代造形の根底を刺激して大いに注目された。

平凡社「世界大百科事典」 丸山 尚一


2005年3月、神戸大丸にて円空展が開催された。

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