1891年(明24)三友舎刊。2年後の1893年(明26)に書名のみ「恩と情」に差し替えて中村鐘美堂から刊行されている。本文・挿絵ともに同一物。 明治期の東京の落語界には二大流派、三遊亭円朝を初めとする三游派とこの麗々亭柳橋(れいれいてい・りゅうきょう)の柳派があった。円朝の方は明治20年頃から手広く口演の速記本を出して人気を得ていたが、柳橋も数は少ないが同様に速記本を出している。麗々亭柳橋の名跡は江戸時代から続いており、この時期に活躍したのは四代目になる。三游派は人情話、柳派は滑稽話という多少の色分けがされていたらしいが、つまり円朝のほうが当代(つまり明治)物や翻訳物を積極的に手がけたのに対…