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猿之助

アート

猿之助

えんのすけ

市川猿之助歌舞伎役者、屋号は澤瀉(おもだか)屋

三代目

1939年生まれ、本名は喜熨斗政彦。

三代目段四郎の子。祖父は猿翁(二代目猿之助)。弟に四代目段四郎がいる。

昭和38年五月、「鎌倉三代記」三浦之介、「河内山」松江候、「黒塚」で三代目襲名。同年、祖父猿翁、父段四郎を亡くす。*1

昭和40年浜木綿子と結婚、同年男児出産(香川照之)。しかしのちに離婚。平成13年藤間紫と再婚。

昭和43年「金門五三桐」から、通し狂言(ひとつの物語をぶっ通しで上演する)スタイルの復活に取り組み始める。

昭和44年4月の国立劇場義経千本桜」四の切で、初の宙乗り宙乗りじたいは、三代目実川延若がそれ以前に復活させている)。翌年七月に歌舞伎座で再演。それ以降、猿之助宙乗りの図式、そして七月歌舞伎座の「猿之助歌舞伎」が定着する。

昭和61年の「ヤマトタケル」にて、スーパー歌舞伎を創始。オペラ京劇、小劇場など他の演劇スタイルを積極的に取り入れた独自の舞台は、内容はともかく、歌舞伎のみならず国内外の演劇に大きな衝撃を与えた。

復活狂言演目

*1:当初この襲名では「市川雪之丞」を襲名する予定だったが、祖父が「胸に金の矢が刺さる夢を見」て死を予感し、急遽三代目の襲名になった。