1950年代のプロ野球選手。ポジションは投手。
1950年、国学院大学から東急フライヤーズに入団。 同年5月11日、大映スターズ戦(後楽園)でプロ初登板。 そしてプロ初打席で初球本塁打を放つ。*1 しかし投げては乱調、交代を告げられ再びマウンドに登ることはなかった。 この年のオフに東急を退団。 その後は母校・国学院大学の監督を務めた。
プロではわずか1試合の出場、1打席のみに終わったため、結果として打率10割、長打率40割という空前絶後の記録を残している。*2
*1:プロ初打席での本塁打は54人、初球では7人が記録しているが、新人でプロ初打席初球本塁打というのは加藤翔平と塩瀬のみである。
*2:打率10割、長打率40割という記録は、やはり唯一の打席で本塁打を放ったドン・シュルジーのみが記録している。