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横浜事件

社会

横浜事件

よこはまじけん

戦時下最大の言論弾圧

1942年、雑誌「改造」の論文に対し大本営報道部長谷萩少将共産主義の宣伝であると非難し、同雑誌を発禁処分にし、著者の細川嘉六が検挙された。その際日本共産党再結成の謀議を行っていると被疑され、1943年から1945年にかけて関係者約60人が次々に治安維持法違反容疑で検挙された事件。

結局「改造」「中央公論」が廃刊に追い込まれ、中央公論編集委員2名が特高により拷問死、他2名が獄死した。終戦直後(治安維持法廃止1ヶ月前)に判決が下され、約30人が一律に懲役2年、執行猶予3年の有罪とされた。

のちに拷問した28人の元特高警察官は遺族により人権蹂躙の罪で告訴され、警部松下英太郎、警部補柄沢六治、警部補森川清造の3名が有罪となったが投獄はされなかった。

有罪判決を受けた関係者、遺族が名誉回復を求めた結果、2005年3月10日、横浜地裁再審が決定した。しかし2006年2月9日、同地裁は有罪無罪の判断をしない免訴の判決を下したため、弁護側は控訴している。