王玄策

一般

王玄策

おうげんさく

生没年不明 中国,唐の太宗朝のころの人。641年(貞観15),インドマガダ国王シーラディティヤが唐に使節を送ったので,唐は李義表を正使に,王玄策を副使として帰国にさいして随伴させ,643年(貞観16),長安を出発してマガダ国にいたり,646年(貞観19)に帰国した。翌年,王玄策は正使として再びインドにむかったが,シーラディティヤ没後の北インドではティラブックティ国王阿羅那順が王位を纂奪しており,王玄策の入国を拒否したため,チベットネパールから兵を集めて阿羅那順を破り,捕えて648年(貞観22)に帰国し,太宗に献じて朝散大夫に登庸された。658年(顕慶3)にもインドに行き,翌年ヴリジ国にいたり,同年に帰国した。王玄策は『中天竺行記』を著したが,『法苑珠林』や『釈迦方志』のなかに佚文がみられるのみである。日本の奈良薬師寺の仏足石銘文によると,王玄策は第2回目にインドに行ったさい,鹿野薗の仏足石をみて転写塔し,これを中国に将来したことでも知られる。

http://www.tabiken.com/history/doc/C/C170C100.HTM