王陽明

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王陽明

おうようめい

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王陽明(1472年 - 1528年)は、中国の明代の儒学者思想家朱子学を批判的に継承し、実践を重んじる陽明学を提唱した。

陽明は号で、名は守仁、字は伯安。姓名から王守仁とも呼ばれる。文成公とおくりなされた。仏教、武芸、詩学など、様々な才能に秀でたが、最終的に儒学を志し、朱子学を学んだ。あるとき竹の原理を見極めようとして昏倒し、理性のみによって真理に到達する手法を退け、実践を通して真理を獲得する実践儒学を起こした。

その思想は同じく実践的な禅宗に学んだ部分が大きく、仏性論を儒教的に解釈しなおした「心即理」論、即ち人間の心は生まれながらにして理を獲得しているので、心の欲するままに行動することが、理にかなうことであるとする考えは、当時の新興商人層を中心に広がった。

王陽明自身は武官として歴戦したため、思想を完成させることはなかったが、その教えは多くの後継者を生んだ。日本には江戸時代中江藤樹陽明学をはじめ、朱子学を官学とする幕府の圧迫を受けながらも広がりを見せ、幕末の志士たちの思想的バックボーンを形成したとされる。

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武将としても赫々たる武勲がある。

27歳で進士となり、地方官を歴任。江西・福建の流賊を討伐し、南昌・広西の反乱を鎮定して両広巡撫になったが不遇であった。