・394年以降? 〔参考〕大鷦鷯と菟道稚郎子は、互いに皇位を譲り合ったという。(『古事記』『日本書紀』) ※菟道稚郎子王は大鷦鷯王のことを褒める言葉を述べたとあるが、その叙述には、『漢書』「高后紀」や『論語』からの借用が見られるほか、儒教的長子相続の思想の影響が指摘される(米田雄介『歴代天皇の皇位継承事情』)。 ・394年以降? 〔参考〕応神天皇の崩御後、その王子,大鷦鷯命が即位したという(仁徳天皇)。(『古事記』) ・396年 〔参考〕倭は、高句麗の属国であった百済と新羅を攻撃して、「臣民」として服属させたのだという。その後高句麗の永楽太王,高談徳(国罡上広開土境平安好太王)は百済を攻めて再…