明治44年10月25日、神戸生まれ。
神戸三中の一級上には淀川長治さんがいたらしい。図書館通いの浪人一年を過し、松江高等学校に入学。昭和9年現・東京大学文学部美学美術史学科に入学し、大学新聞を通じて、画家・佐野繁次郎と知り合う。以後の『暮しの手帖』をはじめとする、装丁デザインや文体やイラストなどを見ると、サノシゲ(愛称)に大きく影響を受けているのがわかる。
戦中は、「大政翼賛会宣伝部」で、「あの旗を撃て」「贅沢は敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「欲しがりません勝つまでは」のスローガン、ポスター製作にかかわる。
戦後は、異彩をはなった雑誌『暮しの手帖』を創刊し、本人が亡くなるまで伝説の鬼編集長として大活躍。徹底した商品テストを繰返し、ことばを自在に操る。また、「男性はスカートを履くべきである」と主張し、実践していた。
昭和53年1月14日、心筋梗塞のため死去。享年66歳。