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苅田久徳

(スポーツ)
かりたひさのり

戦前・戦後のプロ野球選手。
右投右打、ポジションは内野手。背番号は15→30→29番。
1910年1月19日生まれ。神奈川県横浜市出身。
走攻守と三拍子揃ったユーティリティプレイヤーとして戦前、戦後のプロ野球の発展に貢献した。


1934年、プロ野球契約選手第2号として大日本東京野球倶楽部に入団。*1
1936年、対大阪タイガース戦で主審を突き飛ばし、プロ野球史上初の退場処分者となる。*2
同年、フロントとの確執から東京セネタースに移籍。プロ野球史上初の盗塁王になる。
1938年、選手兼任監督に就任。
1941年、大洋軍に移籍。
1943年、大和軍に移籍。
1946年、東急フライヤーズに移籍。
1950年、毎日オリオンズに移籍。
同年シーズン途中、近鉄パールスに移籍。
1951年、引退。
1969年、野球殿堂入り。
2001年8月3日、老衰により逝去。

硬球を食べた男伝説

1941年、大洋軍にいた苅田はシートノックの途中、捕手から転送されてきた球に突如かぶりつきそのまま食べてしまい、その球を他の野手に転送した。
これには観客をはじめ野手達も驚いた。
実はこの一連の行動は苅田がファンサービスにと考えていたもので、実際に食べていたのは大きさや色や形が硬球に似ていたリンゴで、転送されてきた球とあらかじめ仕込んでいた青リンゴを交換し、食べ、そのまま野手に転送したのだった。
苅田のフィールディングの良さがよく反映されている伝説といえるだろう。
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*1:第1号は三原脩。

*2:「着席」を命じられる。退場宣告ではなく自主退場。

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