民俗学者・大林太良の名著・邪馬台国 入墨とポンチョと卑弥呼(中公新書 1977)を読んでいて、倭人は文身をしていたとの記述から広がって、いろいろな例をあげているところ。 水中の動物から身を守るために竜の文身をする習俗は、このほかにもたくさんある。ところで、竜の文身の伝統はラオスでは現代まで続いていたが、じつは中国や日本でも、後世までいろいろな形で続いていた。 北九州や瀬戸内海西部の海部の英雄たちで、その祖が竜蛇神と交わったため、尾やうろこの形を身に着けていた、という話はたくさんある。豊後の緒方(尾形)や、伊予の河野はみな竜神の子孫である。「塵添挨嚢抄 じんてんあいのうしょう」(室町末)に、応神…