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儀礼的無関心

(ウェブ)
ぎれいてきむかんしん

インターネットでの「儀礼的無関心」

2003年、松谷創一郎(id:TRiCKFiSH)氏による問題提起。

その後、この言葉はさまざまな議論を呼び、一般名詞的に使われるようになりつつある。

現在は、「リンクするのを遠慮する」といった意味合いで使われることも多い。

備考

複数の事例をきっかけに提唱されているが、発端となったひとつのエピソードを観測していたので解説する。
確定した事実1:あるはてなダイアリーの執筆者が、加野瀬未友(id:kanose)氏に漫画「NANA」の感想文についてリンクされ、たくさんの閲覧者が訪れた。初めて多数の人に読まれる可能性があることを自覚したダイアリー執筆者は、読まれる事を意識しない赤裸々な日常を書く危険性について理解し、それから気をつけて日記を書くようになった。

儀礼的無関心

(一般)
ぎれいてきむかんしん

原義

civil inattention / civil indifference

カナダ出身の社会学者、アーヴィン・ゴフマン(1922-82)が提示した概念。
「市民的無関心」と訳されることもある。
知らない人に、あえて、もしくは、いつの間にか、儀礼的に無関心を呈示をする/している現象のことを指す。見知らぬ他人同士のあいだで、不要な関わりが生じるのを避けるための暗黙のルール。

そこで行われることは、相手をちらっと見ることは見るが、その時の表情は相手の存在を認識したことを(そして認識したことをはっきりと認めたことを)表す程度にとどめるのが普通である。そして、次の瞬間にすぐに視線をそらし、相手に対して特別の好奇心や特別の意図がないことを示す。
(E.ゴフマン『集まりの構造』丸木恵祐・本名信行訳/誠信書房/1963=1980:p.14/asin:4414518040

現代の大都市においては、自分以外の人間は「知り合い」と「知らない人」に分類されるようになった。よそ者と違って、知らない人は「単に知らない人」に過ぎないのであって、個々人はそういった知らない人に対して多くの場合「無関心」に振る舞わなければならない。これを「市民的無関心civil indifference」と呼ぶ。この市民的無関心、つまりよけいなコミュニケーションをしないことこそ、都市生活を可能にしている相互行為上の条件なのである。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/tsutsui/lecture/sociology/sociology_06.htmlより)

この概念は、アメリカの社会学者H・G・ブルーマーによる「シンボリック相互作用論」などにも影響を与えている。

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