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菊田一夫

映画

菊田一夫

きくたかずお

劇作家。1908-1972

明治41年横浜で生まれた。本名は数男。

不幸な生い立ちで、生まれてすぐ養子に出され、実の父母の顔も知らずに台湾で育つ。養父母も3度変わり、小学校を卒業前に中退させられ、だまされて大阪に連れてこられ、平野町の薬種問屋「岸田市兵衛商店」に年期の丁稚奉公に出された。その少年時代は、自伝的小説『がしんたれ』に詳しく描かれており、主人公の和吉が「どしょうまちの武長はん」へ配達を命じられ、道修町がどしょうまちだと分からず、「隣町に武田長兵衛商店という大きな薬屋はあったが武長半という店はなかった」と言って番頭にあきれられる場面や、配達先に“田辺”“塩野義”の名前が出てきたり、丁稚たちが薬瓶に藁を巻いて荷造りしている様子など、当時の道修町の薬種問屋の雰囲気がよく出ている。

その後、岸田市兵衛商店を飛び出し、神戸 元町の古物・美術商へ移る。丁稚をしながら神戸にある夜間の実業学校に通い、詩の同人雑誌に寄稿するなど文学を志すようになり、大正14年に上京。

印刷工として働くかたわら、萩原朔太郎サトウ・ハチロー林芙美子小野十三郎らと出会い、サトウ・ハチローの世話で浅草国際劇場の文芸部に入る。そののち、昭和8年に古川ロッパらにより、浅草常盤座で旗揚げされた劇団「笑ひの王国」に座付き作家として迎え入れられ、芝居作者の道に入った。

昭和10年に、劇団「笑ひの王国」は東宝の所属となり、翌11年、劇団名を東宝古川緑波一座と改め、東宝演劇の大きな柱となった。

菊田一夫も、「歌ふ弥次喜多」「ロッパ若し戦はば」など数々の喜劇の原作や脚本、M.パニョール作「マリウス」の演出などを手掛けた。

昭和17年、大阪を舞台にした現代劇「道修町」がヒット(のち映画化)、翌年には菊田一夫の不朽の名作「花咲く港」が上演されるなど、戦時下体制化でも相次いでその作品が上演され、古川緑波一座と菊田一夫の名を不動のものとした。

戦後、昭和22年7月から3年半にわたってNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が放送。主題歌「とんがり帽子」とともに大流行し、23年には松竹によって映画化された。次いで27年には、「君の名は」の放送が開始。

その時間は「女湯が空になる」と言われるほどの大ブームを巻き起こし映画化もされ、「忘却とは、忘れ去ることなり」という冒頭のセリフや、数奇屋橋の名と共に今に語られ、菊田一夫の代表作であり、日本放送史・大衆演劇史の金字塔ともいえる作品となった。

昭和30年、東宝取締役に就任。東宝演劇部の総帥としての仕事のかたわら、映画や東宝・帝劇・宝塚などの舞台の 原作・脚本・演出をはじめ、小説の執筆にも精力的な活躍を続け、数々の名作を世に送り出した。

また、「がめつい奴」「がしんたれ」「暖簾」「丼池」「道頓堀」など、大阪を舞台にした作品により、 “大阪ものは菊田一夫” と賞賛された。

昭和48年、数年来の糖尿病脳卒中を併発、死去。65歳。

ライバルでもあった劇作家北条秀司は、「菊田ほど仕事の好きな男を私は知らない。その仕事好きが彼を大成させ、そして彼を殺した。」と記している。