朝廷についての語意調査表 【鎌倉時代の朝廷と収入】 平安時代中期の朝廷は、首都平安京に国家機関の官庁街「大内裏」とその中心の皇居「内裏」を持ち、国を統治・運営していました。 しかし、鎌倉時代(1192年頃)の朝廷は、武士から政治権力を奪われ、「大内裏」の中の皇居「内裏」は残りましたが、「大宝律令(701年)」や藤原一族繁栄の礎石を築いた藤原不比等(ふひと)編纂の「養老律令(718年)」に基づいて改訂した律令制度や国家機関は、遠く離れた鎌倉の地に移され、大内裏の官庁街の庁舎は空き家となってしまいました。 大内裏と内裏 yaseta.hateblo.jp 鎌倉幕府は律令に基づいた二官八省制など機能…