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吉田稔麿

一般

吉田稔麿

よしだとしまろ

または吉田栄太郎。幕末長州藩の尊攘志士。天保12(1841)〜元治元(1864)年。

吉田松陰私塾松下村塾四天王の一人。吉田”姓はもちろん、師の松陰にちなんだもの。

池田屋事件で一度は脱出に成功するも、再び新選組や一会桑の軍に取り囲まれた池田屋に戻り、沖田総司に斬られる。

墓所は多くの志士達同様、京都の霊山にある*1

彼は人物評もやったと言われる。同じく松門の山県有朋によって伝えられるエピソードがある。

あるとき彼は、放れ牛と裃を着た坊主、木刀、棒切れの絵を描いた。それは何かと問うと、放れ牛は高杉晋作、裃を着た坊主は久坂玄瑞、木刀は入江九一、棒切れは山県だという。

放っておくと暴走しやすい高杉、政治能力に長けた久坂、成長過程の入江、今はまだ何者でもないが、使いようによってはどのようにも役立つ可能性を秘めた山県を、的確に表現したものであろう。

稔麿が活躍する作品

*1:ちなみに、萩の彼の墓銘は“吉田年丸”となている