橘奈良麻呂の乱

橘奈良麻呂の乱

(一般)
たちばなのならまろのらん

橘奈良麻呂のクーデターとも。
天平勝宝9歳(757年)7月に橘奈良麻呂らが孝謙天皇の廃位と藤原仲麻呂の殺害を企てたとして処罰された事件。乱とは言うが密告によって事前に発覚したため大規模な戦闘はない。
奈良麻呂は仲麻呂の政治に無道が多いとして乱を企てたことを自白。当時、聖武天皇の遺詔によって立てられた道祖王が廃太子にされ、代わりに仲麻呂と親しい間柄にあった大炊王(後の淳仁天皇)立太子するなど仲麻呂の専横が目立っていた。
この事件によって道祖王を含め多数の逮捕者が出、そのうちのいくらかは拷問によって死去。

反乱計画の内容

  1. 紫微内相(仲麻呂)を殺害
  2. 大炊王(淳仁天皇)を廃太子
  3. 皇太后の宮(紫微中台)を占拠して駅鈴、天皇御璽を奪取
  4. 孝謙天皇を廃位し塩焼王安宿王黄文王、道祖王のいずれかが即位

経過

7月27日 塩焼王免罪

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