哲学者。1942年9月15日-1985年6月17日
東京生まれ。日比谷高校卒。1965年東大教養学部ドイツ科卒、69年同大学院比較文学比較文化博士課程中退、東大教養学部助手、1973年東京都立大学講師、75年助教授。
カント学者(即ちカント研究者;カンティアン)としても知られるが、それ以上に独りの哲学者としての生き様が伝説的にさえ語られうるところである様だ。
*1:是即ち、『カント研究』(創文社、1987年。)のみであるよーです。…ところで因みにこの書は、彼の遺著という性格をも併せ持っているようなのである(…このことについては、以下の「アマゾン・ジャパン」を告示するアドレスに於いて実際に「レビュー」として為されているところの記述が随分と、参考に資するだろう。…そこは即ち、http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E5%85%83%E5%BD%A6/dp/4423170604/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1298065131&sr=1-1です。)。
*2:一冊だけの紹介は寂しくも感じられるので、そのような向きには特に、http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%85%83%E5%BD%A6&range=0&count=20&sortorder=1&type=0を参観されることをオススメする。…さてところで既にかかる諸論文の一覧を得た諸氏にあっても、それらのなかで一連の「内的経験」を巡っているらしい諸論文に自然と着目されるのではあるまいか?と筆者は推知する。このことだけからしてもそれらでは、あのカントの「内的感官」という独特の概念への強い連関を巡る諸問題が提起せられているであろうことが、そして尚且つまたこれらのような問題は、「統覚」や、「誤謬推理(パラロギスムス)」、そして更には「実‐存在する」;「思惟する」(これらはデカルトの「第一哲学」に於ける第一原理たる、謂う所の「コギト」に纏わるものでもあるということは賢明なる読者諸賢にあっては、或いは言うまでもないことであるかもしれないが、或る老婆心の表れとして、どうか御寛恕頂きたく思う者だ。)といった諸概念との関連なしには到底よく論じられるべくもない、ということが、それら諸論文を実際に我々が紐解く前から既に十全にさえ予覚されうるとすら思われるのである。