福岡県大野城市の地名。市域南部の山麓に位置する。古くは牛頸村という一個の村があり、太古には『牛頸千軒七ヶ寺』と称されるほどに栄えていた場所であるという(牛頸郷土史 - 牛頸郷土史発行委員会)。
名の由来は諸説あるが、貝原益軒は『筑前国続風土記』で、現在の牛頸地区から見た南の山(現在は牛頸山という)の形が牛の首に見えるから、との説をとっている。
かつて牛頸村であった一帯は、その中心に平野神社を据え、山方に牛頸川の源流にあたる牛頸ダムの水面を湛えている。牛頸小学校という学校があったが、今は廃校を経て公園となっている。