戦国時代〜江戸時代初期(1563年〜1609年)の武将、大名。 父は京極高吉、母は浅井長政の姉・京極マリア。 1587年、浅井長政とお市の次女・初(常高院)を正室とする。二人の間に子は無かった。 関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に付き、居城である大津城に篭城して西軍の戦力の一部を引き付けることに成功した。 この活躍が認められ、若狭国小浜藩の大名となった。
こんにちは、rekikakkunです。 ここまで関ケ原シリーズを 進めてまいりましたが、 今回ラストとなります。 関ケ原へ探訪の旅に行く前、 何度もグーグルマップで作戦を 練っておりました・・・が、 必ず近くに出てくるんですよね~、「京極氏城館跡」が。 ほら、( ̄︶ ̄)↗ ①京極氏城館跡 ②は位置の参考として関ケ原の中央にある古戦場記念館 ここはなんだなんだ? と。 流石に関ケ原合戦とは関係が無いと思いましたが、 北国脇往還道の方向ですし、行ってきました。 ~1.京極氏とは~ ご存じの方も多いかもしれませんが、 流れ上、まず簡単に調べてみます。 京極氏は、源頼朝の旗揚げ初戦、伊豆山木館の 襲撃…
福井県寺院探訪 凌霄山 常高寺 住所 福井県小浜市小浜浅間1番地 宗派 臨済宗妙心寺派 拝観 400円 ご朱印 あり ランク ★★(1.5)(5段階) 🔴常高寺は、寛永7年(1630)小浜藩主 京極高次の妻で常高院(織田信長の妹・お市 の方の次女)(お初の方)が建立したお寺です。歴史に翻弄された生涯を送った女性 です。常高寺には、お初(常高院)に関する資料などが展示されています。 狩野派の襖絵も見所ですが、庭園は是非鑑賞していただきたい。 この寺は、明治期に荒廃していたものを近年復興の気運が高まり、平成13年に ようやく一応の完成をしました。 常高寺の庭園
あまり知らない方やなんでこの二人?って感じの方が多数だと思いますが、今回はこの二人でやっていきます! まずは軽くこの二人を紹介 鳥居元忠 徳川家康の重臣。まだ家康が今川家の人質の頃から家康に仕え、信長が袋のネズミとなった姉川の戦いや本能寺の変後信長の死に乗じて攻め込んできた北条を迎え打った天正壬午の乱などで決死を働きをし、家康からかなり信頼された人物。 詳しくは下を↓ 鳥居元忠 - Wikipedia 京極高次 京極高吉と浅井長政の姉から生まれた嫡男。後にその浅井長政の次女である初と結婚した。大津城を拠点とした大名。姉である龍子が豊臣秀吉に嫁いだことから長らく豊臣家に仕えていた。 詳しくは下を…
朝、善福寺川沿いを走ってきました。これから自分一人の時間がグッと増えるので、何をするか楽しい試行錯誤です。 「日本史1200人」476 京極高次(タカツグ;1563〜1609) 近江国・戦国大名、守護・京極高吉の子。浅井長政の庇護のもとで成長し、足利義昭に仕えていたが、義昭が織田信長と対立すると信長のもとで人質となった。本能寺の変では明智光秀につき、光秀が討たれると、妹の竜子の夫である武田元明を頼った。ところが秀吉は元明に自害を命じ、美女として知られた竜子を側室にした。竜子は高次の救済を懇願したため高次は許され、秀吉に仕えることになった。その後は出世を重ね1586年に大溝城を、1595年には…
群雲、関ヶ原へ(上)【電子書籍】[ 岳宏一郎 ]価格: 1045 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 関東に移封した徳川家康 (東軍) の抑えを期待して、会津90万石を与えた英邁な武将、蒲生氏郷が亡くなる。嫡子の秀行はまだ幼児でその任に耐えられず、秀吉は蒲生家を会津から移封を命じるが、会津の後任が問題になった。 名が上がったのは、大老職で家康と対立する上杉景勝 (西軍)。上杉景勝は家康が関東支配する中で対立する常陸の佐竹義宣と仲が良く、家康は嫌な予感がよぎる。上杉が会津に移封されると、家康は背後の伊達政宗と好誼を結ぶことを考えるが、その政宗もまた信用できない。 太閤秀吉が薨去すると、朝鮮出兵によ…
<戦乱の世に感じた正義とは> おはようございます!ちくわです。 読書・読書会・哲学カフェが好きです。 この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。 今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。 塞王の楯 (集英社文芸単行本) 作者:今村翔吾 集英社 Amazon 前回の記事はこちら。 chikuwamonaka.hatenablog.com 今日は、「ネタバレ有り」で感想を書いていきたいと思います。 重要な部分を明らかにしてしまうので、本作を読んでみたいという方は、このブログ内容を読まずに、本を読んでください。 ◆感想続き ネタバレ感想を書…
<石垣職人でここまでのドラマが出来るとは> おはようございます!ちくわです。 読書・読書会・哲学カフェが好きです。 この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。 今日は、この本。 塞王の楯 (集英社文芸単行本) 作者:今村翔吾 集英社 Amazon 内容<amazonより> 【第166回直木賞受賞作】 どんな攻めをも、はね返す石垣。どんな守りをも、打ち破る鉄砲。「最強の楯」と「至高の矛」の対決を描く、究極の戦国小説! 越前・一乗谷城は織田信長に落とされた。幼き匡介(きょうすけ)はその際に父母と妹を喪い、逃げる途中に石垣職人の源斎(げんさい)に助…
続百名城のひとつ、滋賀県近江八幡市にある「八幡山城」を訪問(?)した際の記事です。 基本情報 歴史 遺構 アクセス 最寄り駅「近江八幡駅」からのアクセス 駐車場 八幡山ロープウェー スタンプ設置場所 周辺観光情報 八幡堀 日牟禮八幡宮 新町通り 珍道中エピソード ロープウェー休止で喜ぶ母むすめ 基本情報 歴史 八幡山城(はちまんやまじょう)は滋賀県近江八幡市の八幡山にあるお城です。豊臣(羽柴)秀吉の甥である豊臣(羽柴)秀次が1585年に築城しました。秀次は織田信長にならい、楽市楽座の掟書を出して城下町の振興を図り、現在にいたる近江八幡市の基礎を築きました。秀吉から関白職を譲られますが、秀吉に実…
戦国大名伊勢北畠氏の歴史 その4 1577~1584 具教粛清後(1577)からの信雄時代です。 これが最終回。 ●2月15日 いくつか内容を追加しました。(追加って書いてあります) その1、その2、その3はこちら dainagonnokura.hatenablog.jp dainagonnokura.hatenablog.jp dainagonnokura.hatenablog.jp 1577 雑賀攻め 1577 北畠具親の反乱 1577 具親、川俣で挙兵する 1578 播磨国・摂津国を転戦 1579 第一次天正伊賀の乱 1579 信長、怒る 1579 伊賀攻めの理由 1580 信雄、許され…
本当の「ジェンダー平等・ジェンダーレス」とは 何年も前からさかんに言われている「ジェンダー平等やジェンダーレス」。 しかし、なんかヘンだな、、、と感じている人は少なくないでしょう。 その直感、ある意味では間違っていないのです。 なぜかというと、今は、排除することが目的になっているからです。 本当の「ジェンダー平等・ジェンダーレス」とは 自由に発言できることの大切さ 「正しすぎる」反差別が自由を奪う暴力に ジェンダーを巡る歴史はどうなっているのか 「どうする家康」について 歴史的な視点 ドラマストーリーとして キャスティングや演技 その他の要素 沖縄・糸満の女性たち 男らしさ・女らしさ、差別用語…
次回、茶々の妹「初」と「阿茶」の話し合いで、大坂冬の陣の和議が成立。ホンマかいな、そうかいな。 「初」が初登場。お市の三姉妹、茶々と江と比べると影が薄い。京極高次に嫁いだそうだが、その京極高次は、さらにさらに影が薄い。 名前だけ聞けば、なんだか高貴な家柄そうである。室町幕府の4職の1つらしいが、歴史に疎い俺にはよくわからん。室町時代後、高貴な家柄にありがちな没落。織田信長に仕える。「本能寺の変」後は、明智光秀につく。ありゃりゃ~。「賤ヶ岳の戦い」では、柴田勝家につく。こりゃま!つくづく、二者択一に弱い武将。普通、こんな見る目のない武将は戦死する運命だが、高次の妹は美しく、秀吉の側室になる。女に…
生憎の雨模様だったので一周すると約4.9キロの道のりの 小谷城見学は断念して300円を払って資料館を見学する事にした 因みに興味の無い嫁はわんこの散歩してます 小谷城と言えば、浅井長政、浅井三姉妹と連想するよね 長政の嫁は戦略結婚で嫁いできた織田信長の妹お市の方、 その3人の娘と言えば、秀吉の側室となって秀頼を産んだ茶々、 京極高次に嫁いだお初、家康の子である秀忠に嫁ぎ家光を産んだ江 いずれも歴史の表舞台にたった浅井家の血は約50年で絶えてしまいました 因みにこの像は近くの道の駅にありますよん
大河ドラマ「どうする家康」44話は「徳川幕府誕生」。1603年の江戸幕府誕生の話です。11月19日に放送された第44話の視聴率は11.0%。前回比-0.9%でした。では、あらすじを見て行きましょう。 (関ヶ原を終えて・・) 関ヶ原の戦いで石田三成に勝利した家康は、息子の秀忠とともに、豊臣秀頼がいる大阪城へ戦勝報告に向かいました。このとき豊臣秀頼は豊臣家の当主ですが、まだ7歳。会見の場を仕切るのは、母親の茶々です。その茶々が「逆賊・三成をようお討ちくださった。礼を申します。」と家康を労います。さらに、わずか7歳の秀頼も「重ね重ね大儀であった。」と偉そうに言います。茶々が「家康殿は、そなたの新たな…
今回は北政所(おね、高台院)について少々。ドラマや小説などでは、北政所と淀殿との間には確執があり、そこに石田三成ら文治派と加藤清正、福島正則ら武断派の対立がからんで豊臣家臣団が分裂。そこを徳川家康につけこまれて関ヶ原の合戦に至ったというような話が通説的に描かれている。 ただ、石田三成の末裔という白川亨氏は、北政所は加藤清正や福島正則ではなくむしろ石田三成と西軍を支持していたという説を提起されておられるぞ。
朝、善福寺川沿いを走ってきました。今年一番の寒さで外は5℃、手袋をしていても指が痺れる感じでした。 「日本史1200人」371 初(1570〜1633) 浅井長政とお市の方の次女、京極高次の正室。高次の母(京極マリア)は浅井長政の姉であり、高次と初は従兄妹の間柄であった。高次は関ヶ原の戦いに先立って、近江大津城で西軍の軍勢を足止めした功により、若狭一国を与えられて小浜藩主となった。高次に先立たれた後、初は出家して常高院と名乗る。大坂の陣の際には、姉妹の嫁いだ豊臣・徳川両家の関係を改善すべく、豊臣方の使者として仲介に奔走した。夫を支え、衰退した京極家を大名家として再興させ、三姉妹の中では一番多く…
昨夜は新橋で昔の友と楽しく飲みました。福島の会津ほまれは本当に美味しいお酒でした。で、今日のランは休みました。 「日本史1200人」369 お市の方(?〜1583) 織田信長の妹、浅井長政の正室。長政が姉川の戦いで敗北し自害した後に、3人の娘「茶々・初・江」と共に織田家に引き取られた。信長死後、柴田勝家と羽柴秀吉が申し合わせ、清洲会議で承諾を得て勝家と再婚した。婚儀は本能寺の変の4か月後に行われた。後に勝家は秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れ、城を枕に切腹する覚悟を決めた。そして市に城外退去を勧めたが、市はこれを拒んで共に自決すると誓った。三人の娘だけは秀吉のもとに届けさせ、お市の方は「主筋」で…
NHK大河ドラマ『どうする家康』第42話コラム こんばんは!旅行ブロガーにして、歴史地理コラムニストの旅人サイファです。毎週日曜日夜は、NHK大河ドラマ『どうする家康』コラムをお届けします。 筆者紹介 こちらは本業の傍ら全国47都道府県を旅して年間平均40泊!旅行プランナー/ブロガー「旅人サイファ」が執筆運営しております。地理・歴史へも興味が深く、各所で好評を頂いております。 旅人サイファ実績 ・スキルマーケット「ココナラ」にて旅行お出かけカテゴリ売上実績No.1 ・グルメサイト「ニッポンごはん旅」公認ライター ・スマートニュース/Yahoo!ニュースほかメディア掲載実績多数 ・「にほんブログ…
2021年3月10日初版 2021年5月20日3刷 裏表紙裏「あの東京大学史料編纂所・本郷和人先生が、歴史を変えた「失敗」をピックアップ! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if”を展開。失敗の中にこそ、豊かな”学び”はある!」 目次 第1章 鎌倉時代の失敗 第2章 南北朝時代の失敗 第3章 室町時代の失敗 第4章 戦国時代の失敗 第5章 安土桃山時代の失敗 第6章 関ヶ原の失敗 ・平清盛の失…