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橋本万太郎

(一般)
はしもとまんたろう

橋本萬太郎と同じ。

1932年〜1987年。言語学者・中国語学者。

橋本教授は、中国語学の研究者として出発し、中国語学の枠を越えて、本当の言語学者となった。橋本教授は、東京大学中文科の出身であるが、言語学科の服部四郎教授の演習に出席してその記述言語学の方法と学風を学んだ。東大博士課程を修了して、オハイオ州立大学で、中国語中古音韻体系の再構成を論じたPhonology of Ancient Chineseにより、哲学博士を受けた。(中略)
【言語学理論の最前線にあって】橋本教授は、常に自身を最先端におくことを願い、学問的なロマンを求め、あたかも学問の神に魅入られたがごとくであった。橋本教授の学問の及ぶところは、一般音韻論、中国語歴史音韻論、漢字文化圏における文字表記論などがあり、文法の面では、アメリカでの滞在中に発展していた生成文法理論を中国語に適用した先駆者の一人であり、ロシアの言語学者の文法研究の紹介者であった。橋本教授は西夏語やパスパ文字の研究に打ち込んだ時期もある。学生時代から中央アジア東干語(一九世紀に中国西北から移住した回族の言語)に関心を寄せ、一九七六年には、念願かなって、フルンゼ近郊の東干族の村を訪ねている。
「言語類型地理論を唱えた国際派言語学者」中嶋幹起 月刊言語2001年2月別冊・特集:言語の20世紀101人(株式会社大修館書店

http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/gogaku.html    (http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/より)
(前略)
若くして亡くなったといえば、橋本萬太郎【アジアアフリカ研究所】先生だ。エール大学で長年、中国語文法と言語学を教えておられた。集中講義で言語類型地理論(『言語類型地理論』弘文堂)を教わったのだけど、そのダイナミズムには驚かされた。つまり、中国の言語はどんどん新しい言語が北の方からやってきて変化していく過程を緻密に追ったものだ。東大の中国文学科の博士課程のご出身でチョムスキー理論にも精通されていた。
 先生は「言語学」よりも明治期の「博言学」という言葉がお好きで、『現代博言学』(大修館)という素晴らしい本も出しておられる。「日本人なら言語学をやらぬ手はない」というのが持論で、膠着語の日本語、孤立語の中国語(漢文)が既に頭に入っているし、屈折語も比較的容易に勉強できるからである。
 集中講義にポラロイドカメラをもってこられて、みんなで撮影しましょうといって一枚一枚丁寧に撮られたのがまるで昨日のようだ。
 講義でもコンパでも話が脱線してどこまで話されたかまるで分からなくなるというのが不思議だった。
 僕が船の学校にいるというと留学からの帰りにトウモロコシをいっぱい積んだ船に乗って帰って来たという話をされた。
 どうしてあんなにいい、賢い先生が早く亡くなるのだろう。(後略)

現代博言学―言語研究の最前線

現代博言学―言語研究の最前線

言語類型地理論 (1978年) (弘文堂選書)

言語類型地理論 (1978年) (弘文堂選書)

中国語動詞の研究 (中国語学研究叢書 (3))

中国語動詞の研究 (中国語学研究叢書 (3))

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